こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。
さて、過去二回のクラシックのお勉強回を経て、今回からいよいよ国や人物にスポットを当てて記事にしていこうと思います。
クラシックのお勉強記事その①⇩
クラシックのお勉強記事その②⇩
ということで、初回はオーストリア!!
いきなりラスボス感
上記の①の記事を書いた時に、あまりの激戦区すぎて載せなかった音楽家たちのためにも、いち早く記事にすることにしました。
オーストリアへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
オーストリアの音楽家 といえば
以前に各国から、代表的な音楽家をチョイスしたときは、1つの国に着き2人までという縛りで、記事を書きました。その時にチョイスしたのはこの二人。
- オーストリアの有名な作曲家
モーツァルト(トルコ行進曲)、シューベルト(魔王)
他の国は、すんなりと決めれましたがオーストリアは大変でした。なにせ大激戦区ですから。ということで、まずは、他にどんな作曲家がオーストリア出身として紹介されているのか、ざっと見ましょう。
ハイドン、ヨハン・シュトラウス、ヨーゼフ・ランナー、グスタフ・マーラー、ブルックナー、スッペ、ワーグナーなどなど。
まぁ、例によって、誰がオーストリア人で誰がドイツ人だ論争はあるわけですけど
それにしても、著名な音楽家が沢山。まさにオーストリアだけで打線が組める状態。
というか、クラシック最盛期は、どの国の音楽家も活動拠点はウィーンだったりしますから、まさに音楽帝国オーストリアですね。
モーツァルト といえば
1756年 – 1791年
そんな中でもモーツァルトはやはり別格のようですね。まず、墓のデカさから違いました。
チョコにもなってたわね
と、僕のオーストリア紀行はいずれ、旅の道しるべのほうで書くとして、とにかくオーストリア人の誇りのような存在であることは、間違いなさそうでした。
そんなモーツァルトといえば、やはり映画”アマデウス”が有名ですね。
若くして死んだモーツァルトと、その才能に嫉妬したサリエリの関係を描いた傑作ですね。この映画もまた、オーストリアに旅行する前には見ておきたい作品です。ちなみにモーツァルトの奥さんのコンスタンツェは悪妻として有名だけれど、この映画だとそんな感じはしない。
さて、それでは作曲家とタイトルと音楽が一致してない皆さんのために、どんどん曲紹介をしていきますよ!
まずは、トルコ行進曲!
こちらも超有名アイネ・クライネ・ナハトムジーク!
お次は、フィガロの結婚!出だしは知らない曲?ってなりますが、一瞬で「あ〜〜」ってなります。
なんだかお料理がしたくなるコチラは、通称”ウィーンのソナチネ”。
ソナチネは、ソナタ形式のうち一部が省略された、いわば短いソナタのこと。
ソナタについては音楽史のお勉強で確認しましたね。⇨コチラ
お次は、ホルン協奏曲。そろそろわかってきたけれど、だいたいのモーツァルトは”いきなり黄金伝説”に使われていたりする。
つづいては、コチラ”きらきら星変奏曲”。
以前の記事では、きらきら星の発祥はフランス民謡とお伝えしたのですが、それを今の形にほぼアレンジして発表したのはモーツァルト何だそうです。
こちらも聴いたことがある(特に出だし)ピアノ・ソナタ第15番(第16番)
いや、どっちだよ
モーツァルトの曲は旧全集と新全集にまとめられているらしく、旧なら15番、新なら16番なのだから、”トルコ行進曲”みたいにわかりやすいタイトルをつけてもらわない限り、この曲のタイトルを覚えることはなさそうです。
さきほど、オーストリアだけで打線が組めると言いましたが、訂正します。
モーツァルトだけで打線が組めそうですね。
ちなみに、有名なオペラでは”魔笛”、”ドン・ジョバンニ”を手掛けているのもモーツァルト。ただし、意外と聴いてもピンとくるのはなかったりする。
ちなみに僕は”マジカルフルート”が”魔笛”であると知らずにウィーンで鑑賞しました。あぁ恥ずかしい。
さて、ここからは、簡単にご紹介。
シューベルト といえば
1797年 – 1828年
代表曲”魔王”、マイファーザーのやつ。
アヴェ・マリア。アヴェ・マリアはいくつか種類があるらしく、その中でも最も有名といわれるアヴェ・マリア。もちろん、みんな聴いたことがあると思います。
ほかには、”野ばら”、”ます”などドイツ語の歌として教科書で習うものが多数!でもタイトルは知ってるけど正直あまり、聴いてもピンとこなかったりします。ちなみに、シューベルトはモーツァルトよりも若い31歳で夭折している。
当ブログには、いろんな人物の享年をまとめた記事もあったりします⇩
ちなみにこの記事では、1つの年齢に着き3人までで記事を書いたので、享年31歳は 源義経, 項羽, 小林多喜二をセレクトしたため記入されてません。
ヨハン・シュトラウス といえば
1825年 – 1899年
クラシックのシュトラウスはヨハン・シュトラウスの他にもリヒャルト・シュトラウスがいるので気をつけよう。ちなみにこのヨハン・シュトラウスのお父さんも作曲家で、お父さんはヨハン・シュトラウス1世、子供はヨハン・シュトラウス2世と呼ばれているので、さらに注意が必要。
人読んで「ウィーンのワルツ王」「ウィーンの太陽」、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と対比する形で「ウィーンのもう一人の皇帝」。
ちなみに弟二人と、甥っ子も音楽家。お父さん(1世)もあわせて、シュトラウス・ファミリーとして有名。ウィーン・フィルの元旦コンサートは伝統としてシュトラウス家の曲でプログラムが組まれるらしい。
美しき青きドナウ。はじめはピンとこないが、この曲もサビが来れば「あぁ〜」ってなる。
これも、納得の有名曲”春の声”。ズンチャッチャな感じ。
まだまだ、有名曲が!トリッチ・トラッチ・ポルカ!
ポルカが多いことでも有名だそうです。
出だしはなんとなく、聴いたことがある”こうもり”
ちなみにパパ・シュトラウスことヨハン・シュトラウス1世の曲はコチラ!
”ラデツキー行進曲”、パパも十二分に強すぎる。
というか、このコンサートが楽しそうすぎる!
スッペ といえば
1819年 – 1895年
ウィンナ・オペレッタの父の異名を持つ。
オペレッタ・・・
オペレッタとは、イタリア語ので”小さいオペラ”。だけど特に上映時間が短いわけではないそうです。しかもイタリアでは流行らなかったらしい。オペラが悲劇主流なのに対してオペレッタは喜劇が中心。そのため日本語表記だと喜歌劇と書きます
スッペといえばこちらの軽騎兵です。2:20くらいから「あぁ〜」ってなります。
J.F.ワーグナー といえば
1856年 – 1908年
ジョセフ・フランツ・ワーグナー。たぶん、あなたが今想像している、ナチスが好きだった作曲家はリヒャルト・ワーグナーなので別人です。ちなみに、親戚とかでもないらしい。
オーストリア=ハンガリー帝国の時に軍隊楽長の時に発表したた行進曲『双頭の鷲の旗の下に』で有名です。
双頭の鷲については、前に記事を書いたっけなぁ⇨こちら
ウィーンの 音楽家 中級編
ここからは、有名らしいし、名前はなんとなく聞いたことあったけれど。不詳AJは聴いてもピンとこなかった音楽家さんたちです。
ハイドン といえば
1732年 – 1809年
ハイドンは、モーツァルト・ベートーヴェンとともに3人セットで、古典派の代表的作曲家として取り上げられる作曲家です。「交響曲の父」、「弦楽四重奏曲の父」の異名を持ちます。
だけども、あんまりピンとくる曲は持ってなかったりする(当社比)
ということで、AJが一番気に入ったハイドンの”ひばり”
あと、ドイツ国家の作曲(元ネタ)もハイドンによるものだそうです。
ヨーゼフ・ランナー といえば
1801年 – 1843年
さきほどのシュトラウス家、特にパパのほうと、ウィーンを二分するライバル関係にあった作曲家です。とはいえ、ピンとくる曲はなかったりする。しかし、いざ聴いてみると、評判も納得の名曲揃いでした。
AJ的なお気に入り”ロマンチックな人々”
グスタフ・マーラー といえば
1860年 – 1911年
マーラーはむしろ指揮者として有名だった人物なのだそうで、彼自身の作品が評価されるのには少し時間がかかったそうです。基本的に曲が長いことで有名らしく、YouTubeの動画もほとんど一時間超えのものばかりだったりする。”巨人”、”復活”などとにかく壮大な曲が多い。
ちなみにマーラーの一生も、映画になってるようなので要チェック!
ブルックナー といえば
1824年 – 1896年
欧米では人気が高く、ユーロ導入前はオーストリアの紙幣とコインに使われていたりするそうです。
交響曲史上最高傑作と言われることの多い、ブルックナーの交響曲第8番。
クライスラー といえば
1875年 – 1962年
ワリと最近の人。ヴァイオリニストとしても有名。
有名な”愛の悲しみ”は、アニメ”四月は君の嘘”でも使われていたらしいです。
おわりに
今回は、オーストリア出身のクラシック作曲家について調べました。
兎にも角にも怒涛のモーツァルトでしたね。
あと、シュトラウス一家もすごかったね。
コレを機会に曲と作曲家と曲名を覚えてみてはいかがでしょうか。
あと、オーストリアに旅行に行く人は、音楽プレイヤーにこれらの曲を入れて置くのを忘れずに!是非とも現地を歩きながら聴いてみましょう!
オーストリア旅行その前!知って旅行をもっと楽しもう⇨⇨コチラ