こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。
先日、オーストリアのウィーン国立美術館に行ってきました。今回は、その感想戦です。
取り上げる画家は、フランス・スナイデル。
作品自体は美術の教科書などで見たことがあったのですが、画家の名前と作風を、きちんと認識したのは今回が初めてでした。
いや、リアル!てか題材おもしろ!
個人的に超ツボったので少しお勉強する事にしました。
オーストリア、オランダ、ロシア、ベルギー、フランスへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
フランススナイデル 解説
フランドル地方で活躍した16世紀から17世紀の画家になります。活躍した舞台は、いわゆる北方ルネサンスの系譜となるフランドル地方ですね。
バロック時代の画家ですが、スナイデル自身がバロックに区分されることはあまりないようです。
北方ルネッサンスは、イタリアのルネッサンスから伝播してネーデルラント地方で花開いた緻密な油絵芸術だよ
バロックの巨匠ルーベンス、ファン・ダイク(ヴァン・ダイク)など同時代に活躍した画家で、彼らとの共作も数多く、この頃の画家同士の繋がりを研究する上で欠かせない画家でもあるそうです。
中でもファン・ダイクとは友人同士だったらしく、ファン・ダイクがスナイデルの肖像画を何枚か描いているらしい。
芸術家同士で肖像画を描きあうなんて、仲が良かったんですね
画家 スナイデル 生涯
そんな、彼の画家としてのキャリアは、故郷アントワープ(ベルギー)から始まります。
当時のアントワープ(アントウェルペン)は北方ルネサンスの中心地、まさに芸術の都であったので、そんな環境の中、彼も自然な流れで画家となることを目指したのでしょうか。
初期ネーデルランド絵画(北方ルネサンス)最後の巨匠とされるピーテル・ブリューゲル(父)。その長男ピーテル・ブリューゲル(子)に師事し、修行時代を過ごしたと推測されています。
有名なブリューゲルの”息子の弟子”というこね。
わかりづらいよ、ブリューゲルさん。
その後独立したのが1602年。1579年生まれですので、スナイデル23歳の時だったようです。
わりと、現在のエリート芸大生みたいな人生に近いのかもね
わりと早い時期から、静物画に注力する様になり、そのスタイルを確立していったようです。
影響を受けたとされるのは、ブリューゲル(父)の次男ヤン・ブリューゲルです。
えーと、つまり?師匠の弟さん?
Wikipedia読んでるだけで頭こんがらがるから
ブリューゲル一家まじ勘弁してくれ
1608年に、そのヤン・ブリューゲル経由で枢機卿に紹介されたり、時の覇権スペインの王様に作品を愛されたり、生前からかなり評価を得ていたようです。
スナイデルスは南ネーデルラント総督のオーストリア大公の首席画家になり、社会的地位もあったようです。享年は77歳。アントワープで生まれ、アントワープで亡したとのことだす。
死んでから有名になる画家さんもいるから、そういう人達に比べれば不満ない画家人生だったのかもしれませんね
ちなみに、彼の作品は結構残っていて、ルーブル美術館はもちろん、エルミタージュ美術館なんかにも作品が残っているようです。
ウィーンの美術史美術館 感想
僕がスナイデルの作品を生で見れたのは、ウィーンの美術史美術館。
思っていたよりも、作品のサイズが大きくてびっくりしました。
ルーベンスの作品がでかいのは知ってたけれど、この時期の作品ってどれもでかいんですね。
代表作といえる”お店系”の作品が2つ、”お店系”の作品以外も見ることが出来ますよ。
美術史美術館は他にもルーベンスや、ブリューゲルの作品が充実していますよ。
ブリューゲルの有名なこれも見てきましたよ。
えーっと、つまり、スナイデルの師匠のお父さんの作品だね
最後まで、ブリューゲル家がわかりにくい!
それでは、また次回。
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