こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。
今回は久しぶりに、宇宙関係の記事を書きましたよ。
トップページで6つしかないレイアウト一角を担ってる割にあんまり更新もなくて、誰も得しない記事ね
このサイトには旅好きの人が多く足を運んでくれいているわけですが、そんな人達に少しでも宇宙好きになってもらおうというコーナーです。宇宙関係の記事も是非、呼んでみてください!
宇宙関係の記事はコチラから!
アメリカへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
サターンⅤ スペック 偉業
サターンⅤ スペック
サターンⅤは、50年前に作られて、その規模に置いて現在においても塗り替えられていない人類史上最大のロケットになります。
直径10m、高さ110m。総重量は3000トン!
ちなみに日本が誇るH2Aロケットは、直径4mで高さは53m。ただし総重量は300トンとサターンⅤに比べて大幅に軽量化してます。(まぁ、ロケットの重量の8〜9割は燃料の重さだったりするので、単純な比較は出来ないですが)
この写真、カッコいいなぁ〜
さらに、ロケットの能力を示す軌道投入能力。一般的な人工衛星を投入する地球低軌道 (low Earth orbit、LEO) への打ち上げ能力は、実に120トン。ちなみにH2AのLEOへの打ち上げ能力は10トン、スペースシャトルのLEO打ち上げ能力は24トン。
いかにサターンⅤが大型のロケットだったかが伺えますね。
その打ち上げ能力を支えるのが、1段ロケットに5機クラスタ(連結)されたF-1というエンジンです。サターンⅤが史上最大でもあるように、それをささえるF-1エンジンも50年前からいまだに塗り替えられていない、史上最大のエンジンになります。F-1エンジン1機で、スペースシャトルについている3機のエンジンを合計したもの以上の水力を誇っています。
ちなみにサターンⅤは3段式のロケットです
並んだF-1エンジン
サターンⅤ 偉業
そんなサターンⅤの成し遂げた偉業といえば、もちろんご存知アポロ計画です。
NASAは1967年から1973年にかけて合計13機のサターンVを発射しました。大きな事故もなくアポロ計画の多くに使用され、月面着立をしたアポロ11号を打ち上げたのもこのサターンⅤになります。
まさに、アメリカ宇宙開発のクライマックスを支えたロケットなんだ
アポロ計画の後、人類が月に行く必要はなくなり、ソ連との協調路線であるスカイラブ計画がスタートします。サターンⅤはその任を終え、アメリカはスペースシャトルの時代へと移っていきます。
歴代の打ち上げシーン
サターンⅤ 開発 歴史
1961年4月12日、ソ連のユーリ・ガガーリンが人類で初めて宇宙に行きました。それを受けて、アメリカのクリントン大統領は5月に有名な演説を行います。アポロ計画の始まりです。
「われわれは、1960年代のうちに人類を月に送る!」ってやつね
実は、この直前にアメリカも有人打ち上げに挑戦して、アラン・シェパードを宇宙空間に送っています。けれども、ガガーリンが地球を一周したのに対して、アランは弾道軌道で15分ほど飛行しただけ、技術力でははっきりとソ連がリードしていた時代でした。
アメリカの宇宙開発の遅れ、その原因の一つが陸・海・空軍の足の引っ張り合いにあったとも言われています。それぞれが独自に宇宙開発を進めており、ロケットも別々に開発していました。しかしケネディの宣言以降、宇宙開発におけるNASAの主導権・フォン・ブラウン博士の発言権が強まり、アメリカの宇宙開発は加速していきます。(ちなみにNASAの発足自体が1958年とWW2の終戦からだいぶ遅れていたりします)
サターンⅠ
サターン1はサターン5と比べるとだいぶ短い
まず、開発されたのはサターン1(サターン1型)と呼ばれるロケットです。サターン1はアポロ計画の以前から陸軍主導で開発がなされていたロケットで、宇宙開発用ではなく、全世界を射程範囲とする攻撃用ミサイルと開発されていたものでした。
サターン1はF-1エンジンを搭載しているわけでもなく、推力などはサターンⅤと比べ物になりませんが、エンジンのクラスター化を確立した点でサターンⅤへと繋がるロケットになりました。
今でこそ、一般的なクラスタ化という発想ですが、当時はアメリカの主流ではなく、かなり議論の対象になったそうです。新しいエンジンを開発するわけではなく、同じのをくっつける技術なので、クラスタ化なんて技術開発の停滞だ!とも言われていたらしいです。
ちなみにソ連は、初期からクラスタ化技術の開発を進めており、有名なソ連ロケットのR7なんかはクラスタロケットの代名詞です
サターン1:直径 6.5m、高さ 55m、重量 500トン
サターン1B
実際にアポロ計画の始まりを告げたのは、サターン1の改良型である、サターン1Bになります。サターン1Bはサターン1から二段ロケットを強力にしたモデルで、アメリカ初の衛星の周回軌道軌道投入などの偉業はこのロケットで成し遂げられました。
依然として開発中だったサターンⅤに代わり、初期のアポロ計画を担ったロケットです。
アメリカの宇宙開発は着実に進捗していきましたが、悲惨な事故も起こりました。アポロ計画の一環として、発射場で宇宙飛行士候補生たちが訓練をしていたところ火災が発生、訓練で乗っていた司令船の脱出ハッチが開かず候補生3人が死亡しました。これは、アメリカで初めての宇宙飛行士の死亡事故になりました。
NASAは自戒の意味も込めて、この演習を正式にアポロ計画1号としています。
アポロ計画の事故といえば13号が有名だけど、1号はこんな悲しいお話だったんだね
サターンⅤ
そしてついに、F-1エンジンを搭載したサターンⅤが完成します。ケネディの演説からは6年の歳月が流れた1967年の事でした。
とはいえロケットというものは、たとえ新しいものが完成したとしても、いきなり何かを乗っけて打ち上げる事はありません。サターンⅤも初号機は技術実証機としても初打ち上げられました。(アポロ計画4号)
その後、3発目(アポロ計画8号)で初めて宇宙飛行士を載せて打ち上げが行われました。そして6発目(アポロ計画11号)にて人類を月へと送ることに成功します。最終的には計六回の月面着陸をサターンⅤは打ち上げロケットとして支え続けました。
サターンⅤで行われた最後のミッションは、アポロ計画に続く、スカイラブ計画でした。スカイラブはアメリカの打ち上げた初の宇宙ステーションです。スカイラブ計画は合計4回行われましたが、サターンⅤは宇宙ステーション本体を打ち上げた最初の計画で使われました。これが最後の打ち上げでした。
おわりに
いかがだった、でしょうか。
お仕事で、日本のH2AやH2Bに携わっていましたが、アメリカでサターンⅤを見た瞬間に”こりゃ勝てねぇわ”と感じました
著者近影:アメリカに行ったのは10年くらい前
なつかしい写真だなぁ
ま、ロケットのサイズだけが宇宙の技術じゃ無いんですけどね。日本は、日本の良さを活かして、宇宙テクノロジー競争を勝ち抜いていってほしいところです。
とにもかくにも、実際に、NASAでその大きさを目の当たりにすると、サターンⅤのスケールのデカさには圧倒されますよ。アメリカに行く際は、ぜひNASAへの寄り道を検討して見てはいかがでしょうか。
アメリカ旅行その前に!知って旅行をもっと楽しもう⇨⇨コチラ