今回のあらすじ
港町オデッサを満喫したAJ
久しぶりの夜行列車でキーウに向かう
旅日記にはいる前に
刻一刻と変わるウクライナ情勢ですが、先日、日本でのウクライナの首都の呼称がキエフからキーウに変更になりましたね。そういえば海外での英語読みはキーヴだったりキーウでしたね。
オデッサとかチェルノブイリも名前が変わったんですよね。このへんは、なかなか呼びかえるのには慣れが必要な気がしますね。
とりあえず、当ブログではキーウだけは直して書いていこうと思います。
オデッサからキーウに移動
看板のвокзалは、駅のウクライナ語。こういうのって駅の名前の看板をつけると思うんですけど、ここは”駅”って大きく書いてあるんですね。
ウクライナ語はキリル文字の言語ですね。
вはV、оはO、кはK、зはZ、аはA、лはRと大体一緒です。なので駅はヴォクザール。
キーウには夜行列車で向かいます。駅構内で時間を潰して時間を待ちます。
真夜中の駅構内。夜行列車で多くの人がキーウに向かいます。
丸一晩乗って、到着。
早朝にキーウにつく頃、老夫婦が窓からドニプロ川(ドニエプル川)を見てました。
なんだか素敵な眺めです。
キーウに 到着
ということで、キーウに到着しました。
駅前の様子です。中央奥に煙突が見えるのわかります?
キーウについて驚いたのは、工業施設がわりと町の中にあることでした。
町中の移動には路面電車がありました。
東ヨーロッパは路面電車がまだまだ主力で頑張っている国が多いです。
こちらは旧市街の様子。
町中に急ごしらえっぽい観覧車があるのもヨーロッパあるあるな気がします。
こちらは黄金の門とよばれるキーウのランドマーク。
どこが黄金なんだ!?って感じですが、これは再建されたもの。もともとは1037年に建てられたそうですが、13世紀のモンゴル軍の進行によって失われてしまったそうです。
ちなみにムソルグスキー作曲の”展覧会の絵”にでてくる”キエフの大門”は、まさにこの門のことだそうですよ。
最後は、ナイトウォークからの一枚。謎に大きい建物ってワクワクしますよね。特にコレは旧共産主義国っぽい造形がとっても気に入りました。
ちなみにキリル文字のPECTOPAHは面白いことに、全部英語にある文字ですね。
PはR、Eはそのまま、CはS、TもOそのまま、PはRで、Aはそのまま、HはNに置き換わります。
つまり、RESTORAN・・・レストラン!
キリル文字もだんだん読めてくると、面白いですね。
とにかく 霧が深い キーウ
そういえば、キーウ滞在中は、あまり天候に恵まれませんでした。
ただ曇っているだけじゃなくて、霧がすごい。特に早朝は、もう真っ白で10m先も見えないような感じでした。
車を運転するのは怖いでしょうね・・・
でも、見ている分には幻想的で素敵です。体はびちゃびちゃになりますが・・・
キエフ、というかウクライナはとっても敬虔な国だな、と感じることも多かったです。教会には多くの方が参拝してましたし、戦没者や被害者の追悼碑が多くあり、どれもきちんと整備されていました。
こちらは、真夜中の戦没慰霊碑。
写真は2019年のものですが、2022年の今になって見返してみると、色々と感じるものがあります。
おわりに
ということで、無事にキーウにたどり着きました。
次回はキーウ市内観光の様子(2019)です。
つづく⇨
もどる⇦