ノヴォロシア ってどこのこと?

オデッサの黒海とかもめ達 旅のおぼえがき

こんにちわ。今日も東ヨーロッパをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。

今回は、またしても地名記事

AJ(nobu)
AJ(nobu)

ちょうど、ウクライナに移動するんで、そのあたりの下調べをしてるんですね。

太陽の精
太陽の精

え、うそやん。ウクライナに長々と沈没して、ようやっとポーランドに向かうところでしょ?

AJ(nobu)
AJ(nobu)

(゚д゚)ハッ! そうでした。

この記事ずっと下書きで、公開するの忘れてたんだよ。

太陽の精
太陽の精

う〜ん、ブロガーあるあるなのかな?

ようやくブロガーらしくなってきたじゃない。

 

ウクライナへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!

ノヴォロシースクとは違うよ。

あらためまして、旅人です。早速ですが、皆さん、ノヴォロシアっていう名称はご存知でしょうか。近年のクリミア戦争などで、名前を聞いた方もいるかも知れませんが、正確な位置を知っている方は少ないと思います。

ちなみにノヴォロシースクと言う街がありますが、コチラは黒海の東側にある、ロシアの町の名前です。ご注意ください。

 

太陽の精
太陽の精

ノヴォロシアは、思っていたよりも広範囲の地域を指す言葉なんよね。

それでは、順番に見ていきましょう!

ズバリ!ノヴォロシアはこのへんだよ。

ノヴォロシアは、18世紀末にロシア帝国が征服した黒海北岸部地域を差します。

言葉の意味は「新しいロシア」。強くなってきたロシア帝国が不凍港を、求めて南下、拡大していった時に加わった、新しいロシアという訳です。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

ノヴォは新しいって意味なんだね

19世紀になると、ノヴォロシアは黒海の港オデッサ辺りの名称となります。

それ以前にはオスマン帝国とクリミア・ハン国が数世紀にわたり支配してきた黒海沿岸や周辺のステップですが、19世紀の初めに、ロシア帝国の支配権に入ることで急速に入植と農地開拓が進んでいきました。

ロシアにとっては、新規開拓地!まさに新しいロシアだったようです。

ノヴォロシアこぼれ話

18世紀末の入植は、エカテリーナ2世にこの地域の統治の絶対的な権力を与えられたグリゴリー・ポチョムキン公が主導したらしいです。

太陽の精
太陽の精

これが、あの有名な戦艦ポチョムキンの名前の由来になるんだね

あと、クリミア紛争以降、ロシアは積極的にノヴォロシアの名称を使っていたりするらしい。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

う〜ん、このあたりはウクライナでもなく、クリミアでもなく、ノヴォロシアだぞ。って感じ?名称問題って、領有権問題の基本戦術なのかも知らんね。

青い海と港の鐘

写真は、黒海に臨むオデッサを海岸。鐘がおしゃれ

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