さてさて、今日も今日とてルーマニアの勉強に勤しんでいるAJ(nobu)です。
今回は、考古学についてです。
東ヨーロッパの古代史はまだまだ謎が多いようです。
その中でも、今回はダキア人をチェックします。
ダキア人とは
ダキア人は、もともとルーマニアに住んでいた人たちのことです。
ルーマニア人の祖先は南方から来た、ローマ人とするのが一般的ですが。もともと住んでいたダキア人とかなり混血していったこともまた事実とされています。
まぁ、もともとこのあたりの土地を古代ギリシアではダキアと呼んでいたそうです。それでダキア人と。(それともダキア人が住んでいたからダキアなのか。)
ずいぶん、あっさりとした答えだね
しかしWikiをよんでいて、ふと疑問になったのはダキア人(トラキア系)と書かれていたことです。
トラキア系?トラキアはトラキア人のことだけじゃねぇのか?
ということで、お次はトラキア人を見てみましょう。
トラキア人とは
ブログを再開する前のことだったので記事はありませんが、トラキア人は大昔にブルガリアに住んでいた民族です。
現在のブルガリア人とは関連性がないとされていますが、近年ブルガリア領内で高度な冶金技術を含んだ遺跡が多く見つかっており、その界隈では盛り上がっているとのことです。
古くは紀元前3千年の墓も見つかっており、これがトラキア人の祖先だとされています。図はWikipedia先生による、4cに活躍していたというトラキア人の想像図。
では、トラキア系とは
ずばり、ダキア人とトラキア人は基本的におんなじ民族みたいです。要は住んでいるところが違っていただけのようです。
ただ、ひとことに同じ民族と言っても、氏族や部族によって別れています。
紀元前1c頃に、現在のルーマニア地域をブレビスタという人物が統一して、それがダキアという国として古代ギリシアなどから見られていたために、この辺の地域の名称が別れているのだとか。
ちなみに、ブルガリア周辺のトラキアという名称が最初に出てくるのは古代ギリシアの『イリアス』で、トロイヤ戦争にトロイ側で参戦したとされています。トラキア人は次第にギリシア文化の影響を受けていきます。
一方ダキアは、後のローマ文化の影響をより強く受け(と言うか入植してきたローマ人と同化)ることになっていきます。
もともとは同じ民族だったけれども、長い歴史の中で、トラキア人はギリシア化、ダキア人はローマ化していったのですね。
おわりに
どうでしょう。とりあえず、ダキア人とトラキア人の区別が付くようになったのではないでしょうか。
というか、話を整理すると、現在ルーマニアでドカドカ見つかっているトラキア文明の正当な後継者ってルーマニアなんじゃ。。って気もしてきますね。
証明
ブルガリア≠トラキア人
ルーマニア人=ローマ人+ダキア人、ダキア人≒トラキア人 QED
まぁ、はるか昔のことをとやかく言っても仕方ありませんよね、それに古代の歴史はいつひっくり返る変わりません。今後も何か大きな発見で、ダキア人やトラキア人に関する認識が大きく変わることがあるかもしれません。