こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。
今回は旅人用地図”アフリカ南部編”
いつも同様、GoogleMapとかでは調べにくい、地名を中心にまとめてみました。
町の名前は地図アプリですぐわかるんですけどね。
〇〇地方とか、昔の呼び名って、なかなかまとまった地図が無いんですよね。
アフリカの地図もなかなか馴染みがないから、改めて見ると、初めて知ることが多いですね
アフリカへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
わかりやすい アフリカ南部の地図
ということでアフリカ南部の地図です。
まずは、それぞれの国の位置関係。
最南端はご存知、南アフリカ。
南アフリカの内部に囲まれているのがレソト。
ほぼ囲まれてるけど、ギリギリ囲まれていないのがエスワティニです。
南アフリカ領内にはかつて、ズールー王国や、トランスヴァール共和国がありました。
加えて、南アフリカ上部にあるのがナミビアとボツワナ、この5つの国が、正式な区分としての南部アフリカになります。ナミビアは南部のナミブ砂漠が有名です。
南アフリカの上には西からアンゴラ、ザンビア、ジンバブエ、モザンビークがあります。
それぞれ、国土としてはかなり大きな国になります。
ザンビアとジンバブエはかつてローデシアという国名でした。また、両国の間にはヴィクトリアの滝が有名です。
アンゴラの北部より北の地域はコンゴ王国が支配していた地域になります。コンゴ盆地が広がり、コンゴ川があります。アンゴラ以外の地域は今ではコンゴ民主共和国、コンゴ、ガボンに分かれています。
コンゴ民主共和国の東隣にはルワンダとブルンジという、小さな国が2つあります。両国は、フツ族とツチ族の対立で有名ですね。
東側にはモザンビーク。モザンビークの内陸側にあるのはマラウイです。かつてはマラビ帝国がありました。モザンビークから北に上ると、タンザニア、ケニア、ソマリアとなります。これら、東海岸南部の地域はスワヒリ文化が花開いた地域になります。タンザニアには、有名なキリマンジャロがあります。
東には有名な島国、マダガスカルがあります。
マダガスカルの他にも、マダガスカルからみて東側にモーリシャス、北側にはセーシェル、西側にコモロという島国があります。
アフリカ南部の国 ひとことメモ
ということで、今回も各国のひとことメモです。
南アフリカ
かつては、人種差別政策のアパルトヘイトで、今は新興経済国Bricsの一員として有名。アフリカ南部のボス的存在。最南端の喜望峰を持つ。
経済力もアフリカ内では高いほうだが、世界で最も格差の大きい国ともされている。
イギリス文化が色濃く、ラグビーやテニス、クリケットが人気。
ナミビア
国名の由来はナミブ砂漠より。
”ナミブ”は主要民族であるサン人の言葉で、「何もない」という意味。ナミブ砂漠は約8000万年前に誕生したとされて”世界最古の砂漠”の異名を持つ。
国土内には、大西洋に面したナミブ砂漠の他にも、ボツワナとの国境にカラハリ砂漠がある。
ボツワナ
国名は”ツワナ人の国”の意味。
内陸国であり、中央から西部にかけて国土の70%がカラハリ砂漠覆われている。
独立以来、複数政党制に基づく民主主義が機能している国であり、政情はきわめて安定していて、独立以来クーデターや内乱は一度も起きたことがない。経済も優秀で一人あたりGDPではアフリカ第4位、世界的な区分でも中所得国に分類されている。
ボツワナの通貨は”プラ”、これはツワナ語で雨や水という意味。砂漠の国にふさわしい通貨単位かもしれない。
レソト
南アフリカに完全に囲まれている。国名は”ソト人の国”という意味。
国土のすべてが山脈地帯になっており、主な収入源は南アフリカへの出稼ぎになっている。王様が収める立憲君主国家で、正式にはレソト王国。
山岳であるため、アフリカには数少ないスキー場を持つ。また、文化的にも独自なものが多く、とうもろこしを主食として、編笠をかぶる文化がある。
エスワティニ
1960年のイギリスからの独立時よりスワジランドという国名だったが、建国50年を機に、現地語に則ったエスワティニに改名した。
アフリカで唯一、中国とは国交を持たず、台湾と国交を持つ。
サトウキビの生産が有名で輸出額の15%を砂糖が占める。ちなみに日本のグレープフルーツの20%はエスワティニからの輸入だそうです。
グレープフルーツ買ったら、1/5の確率でエスワティニなんだ。もいかしたらほとんどジュースかもしれませんね。
ジンバブエ
元、南ローデシア。ローデシアは、1930年代に設立された白人至上主義的な国家だった。
独立後の経済政策の失策で有名。ハイパーインフレが起こり、250億ジンバブエ・ドル=1ドルという事態にまで発展した。
歴史を振り返ると、14世紀に栄えたグレート・ジンバブエをはじめ、それ以前はマプングヴエ王国が、以降はモノモタパ王国・トルワ王国が覇を争った土地でもある
ザンビア
実は、アフリカで最も平和な国と国際機関に報告されているアフリカの良心。
アフリカを代表する動物、ゾウ・カバ・キリンなども多く住む。旧イギリス領北ローデシア。
国名の由来は、ザンビア北部を水源にするザンベジ川。ナイル川・ニジェール川・コンゴ川に次ぐアフリカで4番目に長い川で、周辺各国を経由してモザンビークまで流れている。5mもある怪魚が住んでいるとか、いないとか。
ジンバブエとの国境にはヴィクトリアの滝がある。こちらは、イギリス人探検隊が発見時にに女王の名前を付けたことによる。
日本が援助に力を入れている国でもあり、日本からの援助額はアフリカ第三位。
マラウイ
ローデシアと同じく元はイギリス領で、ニアサランドと呼ばれていた。
ボツワナ同様、独立以降も大きな混乱や戦乱に巻き込まれることなく成長を続けている。一方で、アフリカ国家にしては珍しく鉱山資源に乏しい。
マラウイは主要民族チェワ族の言葉で光・炎という意味に由来する。国土の大部分をマラウイ湖が占めている。
かつてはマラヴィ帝国という名前で16世紀から19世紀に渡り東部アフリカを支配していた。
タンザニア
正式には、タンザニア連合王国。大陸側のタンガニーカと、島であるザンジバルが連合して国家を形成している。国名は2つを合わせたもの。
植民地として独自文化を失っていったアフリカ国家が多いなか、古来から続くスワヒリ語を国語として使用している珍しい国。
15世紀にポルトガルに占領されたが、その後はオマーン帝国がポルトガルを追い払い、この地を支配した。そのため、ザンジバル・スルタン国というイスラム系国家だった歴史も持つ。
オマーンってアフリカに進出していた時代もあったんだ、意外です
ブルンジ
多数派のフツと少数派のツチの対立で有名。国名はルンディ語で「ルンディ人の国」フツ族もツチ族もともにルンディ人である。
隣国のルワンダ同様に牧畜系ツチ人が農耕系フツ人を支配するブルンジ王国が存在していた。ドイツ領・ベルギー領をへて独立、その後はフツとツチの対立を発端とした内戦やクーデターにより国が混乱した。同様の混乱に陥ったルワンダと比較して、少数派のツチ人が国家の上部に居座るケースが多かった。
アフリカの中でも経済開発が遅れている国のひとつであり、世界最貧国のひとつ。
ルワンダ
ブルンジ同様、フツ人とツチ人の対立を抱える。かつてはルワンダ王国として、ブルンジ王国と共存して発達していた。隣国ブルンジとは言語・社会構造・民族構成・地形などがほぼ共通している。
兄弟国と言ってよい両国だが、独立後の関係はあまり良くなかった。ルワンダでは比較的早くフツ人が国の実権を握るようになったが、ブルンジではそれが遅れたたため。しかしながらその中で、ルワンダ虐殺とも呼ばれるツチ人の虐殺が行われた。
混乱後は、ブルンジとは対象的に急激な経済発展を遂げ、国の発展は”アフリカの奇跡”とも呼ばれている。
ウガンダ
ナイル川(白ナイル)の始まるヴィクトリア湖に接している。旧イギリス植民地。
最貧国の一つとして並んでいるが、広大で肥沃な土地、豊富な降雨、鉱物資源に恵まれ、大きな開発ポテンシャルを持つとされる。
公用語は英語とスワヒリ語になっているが、話者も少なく、北部を除いて共通語としても普及していない。土着の呪術への信仰が根強く、しばしば呪術の犠牲として子供やアルビノの人の人体や臓器が使われることが社会問題となっている。
甘くない料理用のバナナの生産が多く、世界の料理要バナナの1/4を占めて世界1位。甘いバナナの生産もインドに次ぐ、世界2位となっている。
コンゴ
正しくはコンゴ共和国。お隣にコンゴ民主共和国があるので注意。旧フランス領。
国名の由来は、かつて巨大帝国であったコンゴ王国。コンゴ王国は、1395年 – 1914年と、比較的近代に長寿王朝として栄えていた(後半はポルトガルの傀儡国家だったが)。
もと宗主国のフランスと近しいが、1960年からの独立直後はマルクス・レーニン主義を掲げる共産国家だった時期もある。その縁で、いまも中国と関係が深い。
ソニー・ラブ=タンシさんというアフリカを代表する文豪がいる。
コンゴ民主共和国
1971年から1997年まではザイールという国名だったが、政権交代と共に、旧来のコンゴへと戻った。お隣のコンゴとは違い、旧ベルギー領。ザイールを長期独裁支配していた政権が倒れた際は、周辺5カ国を巻き込んだコンゴ戦争へと発展してしまった。
ナイジェリアに次ぐアフリカ第二位の国土を持つ。
ピグミー族という、身長のとても低い人種の方たちが住んでいたりする。
アンゴラ
北部はかつてのコンゴ王国の領内だった。現在はコンゴの名を冠してはいないが、コンゴ王国の都(ンバンザ=コンゴ)は実は現在のアンゴラ領内にあったりする。
1961年から15年に渡る独立戦争をポルトガルと戦い抜いて独立を獲得した歴史を持つ。独立後も内戦が25年続き、政治・経済ともにボロボロの状態となった。一方で、国土に石油とダイヤモンドを持っており、潜在的な経済力は高いとされている。
キリスト教徒が半数を超えるキリスト教国家でもある。また、サンバやカポエラなどアメリカ大陸で花開いた黒人文化のルーツを多く持つ。
ガボン
国名の由来はポルトガル語由来で、公用語はフランス語。
国土の85%はが森林で、手つかずの豊かな自然が多く残されている。ゾウやゴリラ、チンパンジーなどの大型哺乳類が多数生息している。
天然資源の宝庫で、石油まで出る。ただ、そのせいで経済は原油に依存しがちらしい。
オクロという場所にウラン鉱床があり、そこは20億年前に自然発生的な核分裂反応が起こっていたことが知られていて、オクロの天然原子炉と呼ばれている。
マダガスカル
独自の生態系を多く持つことで有名。一例としては、キツネザルやカメレオン、バオバブの木、タビビトノキなど。なんと、マダガスカルにいる動植物の90%が固有種になり、別名が”第8の大陸”、”自然学者達の『約束の地』”など無駄にかっこいい。
世界で4番目に大きい島。南北に長いが、気候は東西による違いが大きい。
歴史を見ると、明確な居住の痕跡などは5世紀ごろから存在するが、大きな国家としてのまとまりは17世紀のメリナ王国まで待つことになる。フランスの植民地を経て、1960年に独立した。
モーリシャス
マダガスカルから東へ行ったところにある島国。
モーリシャスはWHOの発表では、世界で2番めに空気がきれいな場所であるとされています。
アフリカの国家の1つに数えられているが、人口の過半数は19世紀にサトウキビ農園の労働力として移入されたインド系住民。国内農地の90%はサトウキビとなっており、植民地時代のモノカルチャーが今なお影響している。
また、アフリカ諸国の中でヒンドゥー教が多数を占める国はモーリシャスのみである
コモロ
マダガスカルの西隣にある島国。グランドコモロ島、アンジュアン島、モヘリ島の3つの島で成り立っていおり、面白いことに3つの島はそれぞれ植生が異なっている。
1975年にフランスから独立したものの、クーデターなどの度重なる政治危機から経済発展は進んでいない。近海ではたびたびシーラカンスが捕獲される。
様々な人種が混ざり合って、コモロ人という独自のカテゴリーを形成している。ほとんどの住民がムスリム。
近海ではたびたびシーラカンスが捕獲される。
セーシェル
マダガスカルの北にある島国。
1502年にはヴァスコ・ダ・ガマも立ち寄ったとされているが、当時は無人島であった。1742年にフランスの探検隊をセーシェルに送り込み、その際、当時のフランス首相の名前から諸島の名前を「セーシェル」と名付けた。
セーシェルは6800万年から6500万年前に孤島となったため、マダガスカル同様、多くの固有種が存在している。
イギリス連邦の加盟国で、首都の名前はヴィクトリアになっている。観光業も盛んで”インド洋の真珠”と呼ばれている。
おわりに
ということで、アフリカ南部の国まとめでした。
いろんな国にそれぞれの歴史や文化ありですね。
一言にまとめるのがなかなか大変でした。
いずれ、南アフリカの国もしっかり巡ってみたいものです。
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