こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。今回は、ヨーロッパの国旗や国章によく出てくるモチーフの双頭の鷲について調べたました。
あぁ、あれかっこいいよね
厨ニ心をくすぐるよね
あんたら中央アジアも、そっちはそっちで普通の鷲が大好物でしょっちゅうモチーフになっとったけどな
鷲が生息している地域での、鷲に対する憧憬の念は異常!
そんなこんなで、今回は双頭の鷲を大調査!
ヨーロッパへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
双頭の鷲 起源
あらためまして、旅人です。
ヨーロッパを旅していると、しょっちゅう見るのが双頭の鷲のシンボルです。なんとなーく、わかったつもりで居たけれど、あまりにもしょっちゅう見かけるせいで、気になり度がマックスを越えたので今回調査に乗り出しましたよ。
ちなみに現在でも使用されているものでは、セルビア、アルバニア、ドイツ、ロシアなどの国章や、ギリシャ正教会などで紋章が使用されています。
そして、古い建物なんかでは、主に東ローマ帝国や神聖ローマ帝国と関連した、国家や貴族などに使用されていました。
起源は中東
「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章で、知られている最古の図像は、紀元前3,800年頃のシュメールのラガシュの都市神ニンギルスに関するものだそうです。シュメールということは、今のイラク周辺のメソポタミア文明ですね。
どひゃー、すごい昔だね
そういえば、双頭のモチーフはイランでもさんざん見かけたなぁ
ペルセポリスにもおったなぁ
その後も、紀元前20世紀から7世紀の間のシュメールや、現在のトルコ地域のヒッタイトでも使用された。また11-12世紀のセルジューク朝でも使用された。
そしてヨーロッパへ
そして、紋章の象徴は「ローマ」へと受け継がれます。
ローマ帝国の国章は単頭の鷲の紋章でしたが、その後も帝国の権威の象徴として使われ続け、13世紀の東ローマ帝国末期に「双頭の鷲」の紋章が採用されたそうです。
この採用には諸説ありまして
①イサキオス1世コムネノスが「単頭の鷲」を故郷アナトリアの聖獣である「双頭の鷲」に変更させたとする言い伝え(アナトリア≒トルコですよ)
②この紋章は元々はパレオロゴス家の家紋との説
また、どちらの説でも東ローマ帝国における「双頭」は、「西」と「東」の双方に対するローマ帝国の支配権を表したそうです。
ただし、実際には「西」(過去の西ローマ帝国の支配領域)の支配権を既に失っていった時代であったそうな。
すでに支配できてない地域に対して”そっちもウチのだから!”みたいな思いを旗に込めるなんて、ちょっとださいなぁ。
ローマ崩壊後も大人気
双頭の鷲の紋章は、ローマ帝国崩壊後もその地域の支配権の正当性を主張するために大人気の紋章となりました。
「東ローマの後継者」の象徴として
東ローマ帝国の「双頭の鷲」は、ギリシャ正教会、コンスタンティノープル総主教庁、セルビア、アルバニア、ロシアなどに継承されていきました。
「西ローマの後継者」の象徴として
西ローマ帝国の「双頭の鷲」は、その継承を自負する神聖ローマ帝国とハプスブルク家の紋章となり、更にオーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ国などに継承されていきました。その後には東ローマ帝国の姫を迎えいれたロシア帝国も「双頭の鷲」を採用していきます。
日本で言うところの、錦の御旗に近い説得力なのかもしれないね
でもこんなに乱発して、どこもかしこもで使っていたら、説得力もあったもんじゃないわね
神聖ローマ帝国の旗:ハプスブルク家には色使いまで、もろパクリされてゆく
双頭の鷲 トリビア
双頭の鷲ジェスチュアというものがあります。
左右の手の甲を交差させ左右の親指が鷲の双頭、のこる左右の指が翼を表します。
日本の手遊びで言う蝶々的な感じですね。
そして、悲しい事件も。
2018 FIFAワールドカップでコソボ出身のスイス代表の選手が試合中に「双頭の鷲ジェスチュア」をしたために「試合中の政治的行為」とみなされたことがあります。双頭の鷲がアルバニアとセルビアの国章に使用されているため、コソボ問題に関する政治主張とみなされたそうです。