みんなも学ぼう!!宇宙開発史!!

アメリカ歴代ロケット 宇宙への道

ここでは、人類が今まで歩んできた宇宙開発の歴史をご紹介します。

宇宙開発史なんて、わざわざ首を突っ込まなければ、学ぶ機会ってないですよね。

こんな旅ブログでやることではないかもしれませんが、何かの巡り合わせでこのページにたどり着いた旅人さんが、すこしでも宇宙のことを知ってくれれば良いなと思って書き残します

あらためまして

どうも、旅人 兼 元宇宙関係技術者です。

何を隠そうこの私、旅人にクラスチェンジする前は、宇宙関係の技術者でした。宇宙大好きおじさんです。

やっと、始まりました宇宙関連記事の一発目です。今回は、人類全体の宇宙開発の流れを解説していきたいと思います。

それじゃ、ざっくり3つのブロックに分けて、人類の宇宙開発史を振り返っていきましょう。

黎明期⇨V2ロケット

SFの父

人類で、初めて宇宙に行こうと思いついたのは、小説家ジュール・ヴェルヌだと言われています。1865年に発行された『月世界旅行』、この小説の中で初めて”人類が宇宙へ行く”という発想が登場します。つまり、人類の宇宙への挑戦は、ほんの150年前に始まったということになりますね。

もちろん、それ以前の長い長い宇宙観測史の上に、宇宙開発史があることを、忘れてはいけないよ☆
太陽の精
太陽の精

最初は、おとぎ話だった宇宙旅行。でも、そんな途方もない夢を真剣に追いかける、熱い男たちが登場します。子供の頃にジュール・ヴェルヌの小説を読んで育った科学者たちです。

宇宙開発の父

1903年、ロシアのツィオルコフスキーが、多段式ロケットや、人工衛星など、現代の宇宙技術の基礎となる事柄を、論文として発表します。

Aj.nobu
Aj.nobu
ヴェルヌは”SFの父”
ツィオルコフスキーは”宇宙開発の父”とも呼ばれているよ

もちろん、彼の理論・発想はすぐには受け入れられませんでした。それでも”宇宙への大いなる挑戦”という、彼の撒いた種は次の世代で芽を出してゆきます。

人類の次なる一歩は、ツィオルコフスキーの論文から20年ほどあとの事になります。

1923年、ドイツでヘルマン・オーベルトがより実証的な理論を提言し、1927年には宇宙開発のための財団法人を設立します。

また、1926年にはアメリカでロバート・ゴダードが液体燃料ロケット打ち上げが成功します。

画像:宇宙・ゴダードの液体燃料ロケット実験

実験をするゴダード博士

Aj.nobu
Aj.nobu
オーベルトとゴダート。この二人も宇宙開発史では、特Aクラスの偉人です。覚えておくように!!

ただし、時代は1920年台。世界は戦争の黒い影に包まれてゆきます。(1929年:第一次世界大戦)

人類初のロケット

そんな中、宇宙開発史における文句なしでNo.1 の天才がオーベルトの作った財団へと加わることになります。そう、かの有名なヴェルナー・フォン・ブラウン博士です。

Aj.nobu
Aj.nobu
宇宙好きビギナーは、この人だけ覚えてくれれば、今日は満点です。

フォン・ブラウン博士たちは、第一次世界大戦の敗戦・世界恐慌・ドイツのナチス化と激動の時代の中で開発を続け、1942年、彼らは世界で初めてのロケットを開発に成功します。

ただし時代は第二次世界大戦の真っ只中、彼らのロケットはイギリスを攻撃するための兵器として完成することになりました。この時開発されたのが、すべてのロケットの祖である、V2ロケットです。

V2ロケットの特集記事を書きました⇩

冷戦時代⇨スプートニク・アポロ

ドイツの敗北で幕を閉じた戦後、各国は競ってV2ロケット技術を吸収しようと乗り出します。

ここで、面白い話があります。

当時、すでに冷戦時代が幕開けつつあったアメリカとソ連でした。

戦後、アメリカはドイツの科学者をアメリカへと引き抜いていきます。一方、ソ連はドイツの施設や成果を回収して回ったと言います。冷戦時代の米ソ宇宙開発競争は、ドイツから人を受け継いだアメリカと、モノを受け継いだソ連の競争だったんですね。

1955年の7月にアメリカが人工衛星計画を発表すると、翌8月にソ連が同じく発表します。

競争に先行したのは、モノを受け継いだソ連でした。

1958年に世界初の人工衛星、スプートニク1号を成功させると、次々に世界初の偉業を達成していきます。1961年にはユーリ・ガガーリンによる世界初の宇宙飛行。1965年にはアレクセイ・レオーノフによる世界初の宇宙遊泳。その他にも幾つもの偉業でソ連は先行しました。

遅れを取ったように見えるアメリカですが、決して大きく遅れを取っていたわけではありません。そして、ついにアメリカは有人月面着陸という偉業をソ連に先行して達成することになります。

偉業を達成したアポロ11号を発射したのは、未だに世界最大のロケットであるサターンⅤ。開発したのは、あのフォン・ブラウン博士でした。

結局は人材を選んだアメリカが優位に立ったというわけなんですね。

現代へ

その後冷戦は解消していき、米ソの宇宙開発競争も鈍化していきます。また、ある種の到達点に達した宇宙開発は、その費用を大幅に減らしてゆきました。

そんな中で、1981年に往還型宇宙船であるスペースシャトルの発明、1998年から建設を開始して2011年に完成した国際宇宙ステーション(ISS)と、技術は現代へと進んでいきます。

米ソ以外では、世界初から遅れること8年、1968年にフランスが世界3番目に人工衛星の軌道投入に成功。1970年に日本が4番目。同じく1970年に中国が5番目に成功。と続いていきます。人工衛星の軌道投入技術がある国は、未だに10カ国ほどしかないのです。

Aj.nobu
Aj.nobu
世界で4番目!!日本も十分すごいですよね!!

おわりに

かなり長くなってしまいましたが、以上が人類の宇宙開発のざっくりとした流れになります。

僕自身この記事を書いてみて、改めて、とても勉強になりました。

宇宙関係の記事は、まだまだ、学び直して書いていきたいなぁと思っているので、今後ともよろしくお願いします。

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