カラハン朝のおはなし

中央アジアの転換期カラハン朝 中央アジア

今回は、カラハン朝のおはなしです。

この国、ハンがついてるから、ややこしいんですけど、チンギス・ハーンより前の時代の王朝なんてすよね。相変わらず、オフラインで暇な時はウィキのいろんな記事読んでるんですけど、そこを見誤って何回も混乱していました。

それでは、どうぞ。

そもそもカラハン朝とは

カラハン朝は、9世紀から11世紀に中央アジアに存在したイスラム王朝です。早速ですが、チンギス・ハーンが12世紀なんで、奴が来る前に滅んでいるんてすね。

 

そんな、カラハン朝ですが、中央アジアのテュルク系の遊牧民族の中では、最初にイスラーム化した集団と考えられています。また、中央アジアを初めて支配したテュルク民族でもあるそうです。

カラハン朝のマックス調子良い時

 

AJ(nobu)
AJ(nobu)

ふむふむ、中央アジアにとっては結構意義深い国家なんだね

カラハン朝という名前は、後世の歴史家によって付けられた名称だそうです。カラ=ハンという、人がいたわけではないんです。

「カラ」は「強い・大きい」を意味する言葉で、「カラハン」という称号は「強大なハン」の意味になります。ハンの意味が、「王の中の王」とあうのは、チンギス・ハンより200年以上前、その頃からハンの称号があったことが伺えます。

カラハン朝 興亡史

カラハン朝の歴史は、840年にモンゴル高原のウイグル国家が崩壊した後に始まります。ウイグル国家を構成していたテュルク諸部族は中国、チベット、中央アジアに移動してゆき、これが後のテュルク系国家の起源となります。しかし、厳密なカラハン朝の氏族は今も謎のままだとか。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

新疆ウイグルへ行ったけど、大昔はモンゴルにウイグル国家があったとは知らなんだ

太陽の精
太陽の精

詳しくは割愛するね


西方に進出したカラハン朝だけど、西にはベルシアのサーマーン朝があって、タラスの領有を巡って争います。タラスを奪われたあとは、カシ

ュガルに都を置いたそうな。この時から、イスラム文化の流入が始まったようです。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

おぉ、中央アジアの話かと思いきや、まだ今の中国地域の話だったか。東トルキスタンってやつだね。

トルキスタンについての記事はこちら↓

実はカラハン朝の歴史のうち史実と見なされるのは、サトゥクがハンに即位した時代以降で、サトゥクの時代より前の時代として記されている出来事を単なる伝承、または史実と見なすかで研究者の見解は分かれているそうです。サトゥクは初のムスリムのハンとして、即位しました。その即位は熱心な仏教徒であった叔父を討ってのものだとか。こうしてカラハン朝はイスラム国家となったそうな。

さらに、サトゥクの孫の時代には、サーマーン朝が支配するマー・ワラー・アンナフル(いわゆる中央アジア)に侵入し、ブハラとサマルカンドを占領します。孫ははカシュガルへの帰還中に没し、サーマーン朝はブハラを回復しますが、999年に今度はひ孫がブハラを占領し、サーマーン朝を滅ぼすに至るのです。

男爵
男爵

孫とかひ孫とかひどいな。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

名前まで、覚えられんしね。

サーマーン朝を倒したカラハン朝ですが、その後も東トルキスタンでは領内のオアシス国家や仏教徒の反乱、西トルキスタンではガズナ朝の出現と、休む暇がありません。最終的には両方なんとかしますが、11世紀の中頃にはなんと東西分裂してしまいます。

その後、中央アジアの西カラハン朝はセルジューク朝との戦いに突入します。セルジュークはガズナ朝を破って東進してくるやばい奴ら。最終的には、臣従することで西カラハン朝は生き延びます。

 

東カラハン朝はというと、カラキタイ(西遼)がやってきます。カラキタイは中国も手を焼くやばい奴ら。善戦したようですが、結局臣従することとなり、続くクチュルクによって滅びることとなります。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

クチュルクはカラキタイから王位を簒奪した国家で、まぁカラキタイver2みたいなもんだね

さて、生きながらえた西カラハン国ですが、こちらにもやってきたカラキタイと戦います。セルジュークと連合して1141年にまず一戦して敗れます。その後、近くに興ったホラズムシャー朝と連合して1209年にもう一戦、今度は勝利します。勝ったはいいものの、今度はホラズムシャー朝により苦しめられる展開となり、クチュルクに助けを求めますが、ついにはホラズムシャー国によって1212年、滅亡するのです

 

神官さま
神官さま

ひどい最後だね

AJ(nobu)
AJ(nobu)

まぁ、国の最後なんてこんなものかね

長ったらしい歴史の話はさておいて、カラハン朝時代に建設された大規模な建設物は多く残っています。1121年にブハラに金曜モスクが建立され、1127年にはモスクの前にカラーン・ミナレットが建てらてます。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

おぉ、行った、行った。実際に建物を目にすると、↑の長ったらしい歴史話も感慨深いね。


ブハラに行った方は、遠い昔のカラハン朝に思いを馳せてみてください。



参考Wikipedia:カラハン朝

読み応えレベル  4:4 out of 5 stars (4 / 5)

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