【エジプト】死後、肉体はバーとカーに分かれる。カノプス壺のお勉強

ロンドン:大英博物館:エジプトフロアのカノプス壺 中東

こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。

さて、今回は大英博物館で観賞したカノプス壺(カノープスの壺)のお勉強記事になります。

AJ(nobu)
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なんだかかっこいい名前だね

太陽の精
太陽の精

壺の中身は何だろな

エジプトへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!

カノプス壺 とは

カノプス壺とは、ミイラを作る際に臓器を取り出し、それを保存するために使われていたと壺だと考えられています。魂が宿るとされていた心臓を除いて特に重要とされた、肝臓、肺、胃袋、腸をそれぞれ壺に入れていました。

AJ(nobu)
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おう、まさかの臓物壺でしたか

外装にはオシリス神像やその子供たちなどが彫られていてさまざまなデザインがありますが、ホルスの4人の息子をモチーフにした壺が多く発掘されています。

4つ揃って展示されていると、やっぱり目を引きますね。

ホルスの四人の息子

イムセティ・・・人間の姿をしていて、女神イシスの眷属。肝臓を守る神とされていた。

ドゥアムトエフ・・・山犬の姿をしていて、女神ネイトの眷属。胃を守る神とされていた。

ハピ・・・ヒヒの姿をしていて、女神ネフティスの眷属。肺を守る神とされていた。

ケベフセヌエフ・・・隼の姿をしていて、女神セルケトの眷属。腸を守る神とされていた。

バーとカーの話

古代エジプトでは、人間の霊魂は5つの要素からなると信じていました。

その五つは、イブ(心臓)、シュト(影)、レン(名前)、バー(魂)、カー(精神)

で、特にバーとカーは重要だったそうで、死後の復活には、この二つが再結合することが必須でした。魂と精神だとすこしわかりずらいですが、バー(個性)カー(活力)という解説もありました。

太陽の精
太陽の精

バーとカーって、お国が変わると意味も可合わるんですね。あたりまえだけど

ホルス 小話

画像:エジプト:ホルス神

ホルスの四人の息子、ということでホルスについても少し調べてみたら、いろいろと面白いことがわかりました。

なんと古代エジプトにはもともとホルスという名前の神様が2人いたそうです。

一人は、天空神としてのホルスで、ラーが主神になる以前にはエジプト王朝の主神を務めていたこともあった神様です。天空だけでなく光や月の象徴とされ、太陽の象徴であるラーと対になったりもしました。ラーが主神として信じられるようになると、ラーの息子であるファラオが死ぬと、ホルスとラーが地上に梯子を降ろし、太陽の船にファラオの霊を招くと言われています。こちらは大ホルスや、ホルアクティと呼ばれているそうです。

もう一人は、オシリス神話に登場するホルスで、こちらではオシリスとイシスの息子として登場します。オシリス神話を簡単に言うと、オシリスとセトの兄弟神が喧嘩し、セトがオシリスを殺害しますが、息子のホルスが敵を討つ、という内容になっています。ちなみにこの時、ホルスの片目が失われ、それが”ウジャトの目”といわれる、あの目玉マークです。

画像:エジプト:ホルスの目

古代エジプト史もまとめておこう

深掘りしていく前に、古代エジプトの歴史をざっくりとお勉強しておきましょう。

エジプト文明の起こりはだいたい紀元前3100年くらいだとされています。当然それ以前から人々は一帯に住んでいました。

古代エジプトはナイル川に沿って上流の上エジプトと、現在の首都カイロがあるあたりの下流の下エジプトに分かれていました。その上下エジプトを統一した王朝が古代エジプト第一王朝で、だいたい紀元前3100ねんから紀元前2900年の200年ほど存在したとされています。

神官さま
神官さま

ちなみに第1~2王朝は初期王朝時代とも呼ばれ、王権の象徴はラーではなくホルスだったそうです

古代エジプトと呼ばれるくくりは、そこから紀元前30年に共和政ローマがプトレマイオス朝エジプトを滅ぼすまでの約3100年の歴史で、その間に約31個の王朝が入れ替わり立ち替わりエジプトを支配しました。

その31個の王朝の中でとくに栄えた3つの時代を古王国時代、中王国時代、新王国時代と呼んでいます。

それぞれの特徴は

・古王国時代(第3~第6王朝、紀元前2686年~紀元前2181年)エジプト最初の繁栄期。首都はメンフィス(現カイロ付近)。ミイラの風習が始まる。第4王朝時代には王権とラー信仰が結びついたが、末期になるとオシリス信仰が興隆しラーよりも人気に。また、イシス神やセト神、ネフティス神などのヘリオポリス九柱神と呼ばれる神話体系もこのころには確立していた。クフ王や名宰相イムホテップが有名。ギザのピラミッド・スフィンクス。

AJ(nobu)
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カノプス壺の風習は古王国と中王国の間の時期に始まったそうです。

画像:エジプト:ギザのスフィンクス

・中王国時代(第11~第12王朝、紀元前2060年頃~紀元前1782年)首都はテーベ(現ルクソール)。広大な農耕地帯が形成され、文学が花開き、預言書や教訓が描き残された。テーベの一地方神であったアメンが王朝の守護神とされ、アメン信仰が興隆した。オシリス信仰も引き続き盛んで、もともとは植物の神であったオシリスですが、死後の裁判が強く信じられるようにり冥界の裁判官となっていきました。

・新王国時代(第18~第20王朝、紀元前1540年~紀元前1070年)首都はテーベ(現ルクソール)。シリア地方へも積極的に侵攻した。アメンホテプ4世やその妃ネフェルティティ、ツタンカーメンなど有名な王様も多い。他地域からの文化の流入が進み多神教化が進む一方で、アメン信仰とラー信仰が融合し、アメン・ラー信仰が生まれる。死者の書。ルクソール神殿・カルナック神殿・王家の谷。オベリクスが建てられたのもこの時代。

おわりに

ということで、今回はカノプス壺から古代エジプト小話をいくつかまとめてみました。

AJ(nobu)
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世界一周したくせにエジプト未踏の旅人なので、いつか行くときは、今回の知識をもとに楽しみたいと思います。

また、博物館で見た品々をもとに記事を描いていきたいと思います。

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