こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。
今回は、また地域を表す言葉のお勉強。
国のまとまりは、今までもいくつか記事にしてきましたが、今回はヴィシェグラード圏、とう中央ヨーロッパを表す言葉のお勉強です。
イギリス文化圏コモンウェルスの記事
フランス文化圏フランコフォニーの記事
とはいえ、今回は言語や文化的なつながりというよりは、密接した地域経済圏みたいな感じです。アジアで言うところのASEAN的な。
世界経済に興味がある人なら、抑えておきたい言葉かもね。
中欧への旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
ヴィシェグラード 解説
ヴィシェグラードは主に、ヴィシェグラード・グループや、ヴィシェグラード4ヶ国なんて呼ばれ方をする4つの国を指し示す言葉になります。
V4と略されることもあるらしいです。
それだとなんだか、優勝4回みたいだね。
さて、その4つの国とは、中央ヨーロッパの
- チェコ
- スロバキア
- ハンガリー
- ポーランド
の4つの国を指し示す言葉です。地図だとこんな感じ。
濃いブルーがヴィシェグラード4ヶ国。北からポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーです。
あれ、ハンガリーって東欧じゃないの?
中央ヨーロッパと東ヨーロッパの区分けも、難しいですよね。諸説あるみたいですが、狭義の東ヨーロッパはロシア・ベラルーシ・ウクライナの3ヶ国だけみたいです。ただし、旧共産圏をまとめて東ヨーロッパっと呼ぶことも多いので、ヴィシェグラード4ヶ国はすべて、中央ヨーロッパであり東ヨーロッパでもある国、とも言えそうですね。
ヴィシェグラード・グループ 歴史
近年におけるヴィシェグラード・グループは、1991年に、この4カ国による首脳会談がもたれたことがスタートになります。
その時の会議の場所が、ハンガリーのヴィシェグラードでした。
しかし実はこの4ヶ国、近年できた経済的なグループと言うよりも、歴史的なつながりのある、4ヶ国になんです。
そもそも、なんで1991年の首脳会議がヴィシェグラードで行われたかと言うと、遡ること600年。1335年にハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンがかつてヴィシェグラードで会議を行ったことにちなむそうです。
そんな昔にも、同じ場所で同じ国の長が、会議をしていたと考えると、なかなか味わい深いね
ちなみに、1335年の会議では、ウィーンを迂回する新しい商業ルートの開拓が合意されたんだとか。
ヴィシェグラード どんな場所
ちなみに、その会議の地ヴィシェグラードは、ハンガリーの首都ブダペストから、スロバキアとの国境方面へ北にすこし行ったところに位置する、ドナウ川沿いの街になります。
もともと、11世紀からお城があったそうですが、14世紀には先程の会議にも参加していたハンガリー王のカーロイ1世が遷都して、一時的にハンガリー王国の首都になっていた歴史ある街なんだそうです。
ハンガリーに行く機会があれば、ブダペストから足を伸ばしたいなぁ
おわりに
今回は、中央ヨーロッパの地域名称についてお勉強しました。
個人的にはヴィシェグラード4カ国のうち、ハンガリーだけ行けていないので、はやく訪れてV4制覇してみたいです。
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