こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。さて、私、旅人AJが世界で出会った音楽をご紹介する旅人放送局のコーナーです!旅をしながら発見したローカルアーティストを日本に紹介するのが目的の記事です。
今回はGoogooshu!!1970年代に黄金期を迎えたイランポップの最も有名なアーティストです。
へ〜、イラン・ポップっていうジャンルがあるんだ。J-POP、K-POPにならうなら、I-POPってところかね
そういえば、カザフスタンにはQ-POPがありましたね。
イランポップは、イラン・イスラム革命以前の西洋化していた時代に流行っていたイラン歌手たち。
それらの時代に活躍した多くのアーティスとは1979年の革命後は、アメリカなどに亡命を余儀なくされたといいます。I-POPは、まさに時代に翻弄された音楽ジャンルなのです。
その筆頭が、本日紹介するグーグーシュさん。
もっともっと日本でも人気を獲得するような歌手だと思います。要チェックですよ!!
グーグーシュ 歌手 実力
さて、取り上げるのはグーグーシュというアーティストです。
今回はイランのレジェンドアーティストですね。
とりあえず聞いてみましょう!
まずは、当時のヒット曲!
映像の雰囲気も相まって、ペルシア語なのに懐かしい感じが伝わってきますね。
最近は、シティポップブームで、日本の70年代の楽曲が見直されたりしてるから、この曲も”一周回ってオシャレ”なんてブームになったりするかも。
最近の曲はこちら。映画のトラックとしても今でもしっかり活躍されているみたいです。
グーグーシュ 解説 経歴
と、その前にイランポップの解説をもう少し。
イランポップは1950年代から、西洋のポップミュージックと伝統的な音楽を融合させて誕生しました。1970年代に黄金期を迎えますが、1979年以降、イラン国内でポップミュージックが禁止されてしまいます。
その後、多くのI-POPの担い手は国外で活動を続けているようです。一方、近年ではイラン国内でも規制緩和の動きがあり、再びイラン国内でポップミュージックも制作されているようです。
そんなI-POP黄金期のシンボル的存在がグーグシュでした。
彼女は1950年生まれで、まさにI-POPの興隆とともに成長したました。3歳の頃からすでに演者として活動していたそうです。気がつけば、イランの若者文化を代表する存在となり、楽曲だけでなく、服装(ミニスカート)や髪型(ショートヘア)でもシンボリックな存在で、真似するイランの女の子が続出したのだとか。
イランにもそんな時代があったんだね〜
そして、1979年、イラン革命によって、ポップミュージックが禁止されます。
多くの、ポップアーティストが国外へ亡命する中、グーグーシュはイランに留まることを選びました。それから2000年までの21年間、彼女は一切の音楽活動をすることなく過ごします。
2000年に、グーグーシュはついにイランを離れ、国外コンサートを再開しました。ツアーのファイナルはドバイで行われ、ドバイでは2万にを越える観客で、そのうち70%以上はペルシャ湾を渡ってやってきたイラン人だったのだとか。
なんだか、映画になりそうな感動ストーリーだよね
実際に彼女を題材にしたドキュメンタリーも作られていたりするみたいです。
グーグーシュ 曲 おすすめ
AJ的なおすすめ曲をいくつかご紹介します。
僕としては、民族間が多めに残ってる曲のほうが好きですね。
イントロの部分が特に好きです。
こちらの近年の楽曲も、ジャズテイストで素敵です。
この曲も、最近の曲。かっこいいですね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
イラン・ポップというジャンルを通して、イランという国をちょっとだけ理解できる気がします。
旅で出会ったイランの女の子たちも、みんなヒジャブに長袖長ズボンでした。けれど、グーグーシュがイラン国内で流行っていた頃は、その子達のおばあちゃんはミニスカートにパーマヘアーだったりしたんですよね。
実際、イランの人たちってすごいオープンな人が多いよね。
オモテではイスラムのルールを大切にして、ウラではオープン。”本音と建前”の日本と似たとこがあるきもしますね。
今回はイランの流行アーティストをご紹介でした。I-POPのアーティスもまだまだ教えてもらったやつがいっぱいあるので、今後も紹介していきますね。
それでは、また次回!
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