こんにちは、今日もどこかを旅しおります管理人こと旅人AJ
シリーズ:旅人も建築知っておけば旅がもっと面白くなる!
今回も、旅人が自分の勉強がてらに記事を書きます。
旅で訪れる観光地なんて”自然”か”建物”かの二択です(暴論)
建築の知識が少しあるだけで、旅の半分がより深くなると言えるでしょう!
建築の知識があると、建物や遺跡に行った時に、より楽しめるかもしれないね
今回はアケメネス朝の建築です。
ちょうど今、旅のみちしるべが、イランだからね。
イランへ旅する予定のみなさんも、建築の基礎を身につけておいて、旅をより楽しみましょう!
アケメネス朝 解説
その前にアケメネス朝の説明からですね。
ざっくり解説 アケメネス朝
アケメネス朝ペルシアは、古代イランにあった帝国で、オリエント世界を初めて統一した帝国になります。紀元前700年ころに当時アッシリア帝国に圧倒されていたペルシア人は、古代エラム(西イラン)の土地に移住します。
当時はメディアの属国とされていたペルシアでしたが、紀元前550年にキュロス王の統治になると、またたくまに支配国であったメディアを滅ぼし、リデュア(トルコ)、バビロニア(イラク)、エジプトを征服して古代オリエント世界を統一したのです。
次の国王ダレイオス1世の時代には、その領地は北インドからマケドニアにまで拡大します。しかし、その息子クセルクセス1世はギリシアに戦争を仕掛けますが失敗(ペルシア戦争)し、領土の拡大はここまで。その後も100年ほど帝国は続きましたが、紀元前330年にアレクサンドロス大王によって、帝国は滅亡に至ります。
最大版図のときは、ものすごい広い領土だね
古代オリエントを初統一して200年ほど続いたけど、アレクサンドロス大王によって滅ぼされて帝国ということだね
アケメネス朝建築 特徴
そんな、アケメネス朝の建築の特徴は、ズバリ柱とレリーフです。
アケメネス朝の建築は、ギリシャ・アジア・エジプトなど様々な要素が取り込まれた建築とされていますが、大きな特徴となるのが柱とレリーフ。順番に見ていきましょう。
双頭の柱
ペルシア柱とも言われるこの柱は、柱頭に双頭の動物を配しているのが特徴です。
ペルシアにおいて牛は月の象徴、ライオンは太陽の象徴であったともされています。これらの双頭の胴部というモチーフはその後、各地へと伝搬していき、ヨーロッパの双頭の鷲の起源でもあるとされています。
レリーフ
人面の雄牛や、羽の生えた男性のレリーフも、アケメネス朝建築の大きな特徴です。
人面の雄牛はラマスと呼ばれ、その起源はシュメール文明にまでさかのぼります。
元々は、ラマと呼ばれるシュメールの守護女神とされていますが、アッシリアの時代に牛と合成されたラマスという神様へと姿を変えていきました。
羽の生えた男性のモチーフは、もともとはペルシア帝国を巨大にしたキュロス王を描いたものとされていますが、アケメネス朝の国境でもあったゾロアスター教においても多用されています。
ゾロアスター教においては”フラワシ”と呼ばれ、森羅万象に宿る精霊とされていました。
アケメネス朝建築 代表
もちろん代表作はペルセポリス。その大部分はアレクサンドロス大王によって燃やされてしまいましたが、残っている遺構から、その巨大さを知ることができます。
また、双頭の柱は町のモニュメントとして、今なお作られていたりします。
レストランの入口にもこの通り。
おわりに
ということで、今回は、アケメネス朝の建築について学びました。
というか、アケメネス朝をざくっと紹介する記事になっちゃいましたね。
これで、イランの旅がもっと楽しくなるはずです。
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