こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。
まめにやっております”旅する前に知っておきたい国旗の意味”シリーズ。今回はセルビア。
セルビアも双頭の鷲の国旗だね
前回は、モンテネグロの国旗を調べたね
セルビアへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
過去の国旗シリーズの記事はこちらから⇨こちら
セルビア 国旗 意味
セルビアの国旗は、汎スラブ色の赤、青、白の横縞3色を配色した国旗になります。
三色はもちろんスラブ民族であることを表しています。
国旗の中心やや左に描かれているの国章です。白い双頭の鷲はモンテネグロとも一緒ですね。ただ持ってる盾の模様が違ったりしています。この国章はセルビア王国の時代、王家オブレノヴィッチ家の紋章と同様のデザインです。
赤地に白(銀色)で十字が描かれ、十字で区切られた四つの部分に、それぞれ白(銀色)で何かが置かれています。これは火打鉄とされています。このデザインはセルビア十字とも呼ばれ、中世以来セルビア国家とセルビア正教会で用いられています。
また、十字の四方にある火打鉄は、一般的には「С」の字だとされ、セルビア国家の非公式のモットーでもある「Само Cлога Србина Cпасава」(団結のみがセルビア人を救う)に由来しているという説があるそうです。
ちなみに、セルビアがもともと所属していたセルビア・モンテネグロの国旗は、国章のマークが取り除かれた、もっとシンプルなデザインです。
⇧セルビア・モンテネグロの国旗。白色が分かりづらいので引用枠に入れてみました。
セルビア・モンテネグロの旗はロシア国旗と同じに見えますが、実は配列が違ったりします。分かりづらい
こちらがロシア国旗、見比べるとたしかに配色の順番が違いますね。
スラブ系の配色の話はコチラの記事も⇩
ユーゴスラビアの歴史
ちなみに、せっかくなのでユーゴスラビアの歴史を少しまとめておきます。
第一次世界大戦後、敗戦国であるオーストリア=ハンガリー帝国がその領土の多くを喪失することになりました。戦後処理の過程において、セルビア王国主導の汎スラヴ主義のもと南スラブ人国家の創設が進められ、セルビア、モンテネグロとともに旧オーストリア・ハンガリー帝国領のスロベニア、クロアチア、ボスニアを合併した連合王国であるセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国が誕生します。ちなみに、国の名前が長すぎるせいか、設立当初の時期からユーゴスラビアという名称も通称として用いられていたそうです。1929年には国号が正式にユーゴスラビア王国に変更になります。
昔は、セルブクロアトスロヴェーン王国って習った記憶があるけど、wikiはセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国なんだね
第二次世界大戦直前の1943年に、ユーゴスラビアでも革命が起こります。王政を廃止してユーゴスラビア民主連邦が成立します。その後2回の名前変更があり、最終的にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴスラビア)となります。
ちなみに旧ユーゴスラビア時代の旗はコチラ。いちいち配色の順番が違うのは何なのだろうか。面白い。
旧ユーゴは、チトーが取り仕切っていた国だね
チトーの死後、ユーゴスラビアの分裂が始まります。1991年から1992年にかけて、スロベニア、クロアチア、マケドニア共和国が独立。ついで、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立します。1992年、依然連邦に留まっていた2つの国セルビア共和国とモンテネグロ共和国は連邦を維持することを決定し、ユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア)を結成されます。新ユーゴスラビアは2003年に国名をセルビア・モンテネグロに変更します。
つまり新ユーゴスラビアとセルビア・モンテネグロは同じ国なんだね
2006年、国民投票が行われモンテネグロが独立します。これでやっと、現在の国家の区分けと同じになるわけです。ちなみにセルビアは、セルビア・モンテネグロの正統後継国家であると宣言しています。また、ユーゴスラビアの時代からセルビアは人口的にも国土的にも中心的な役割を担ってきました。
複雑なユーゴスラビアの歴史の中で、最後まで残ったセルビア。
セルビアはユーゴスラビアの時代からリーダーとしての自覚があったのかもしれませんね。
リーダーだから抜けられない、ってありますよね〜。
まとめ
今回はセルビアの国旗の意味を調査しました。
思わず、ユーゴスラビアの歴史まで勉強しちゃいましたね
国旗、調べてただけなのにね
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