旅人の大先輩!イブン・バットゥータ先輩の旅程を確認。

画像:イブン・バットゥータ アフリカ

こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。

今回は久々に偉人を調査。

イスラム世界からやってきた、旅人の大先輩イブン・バットゥータさんについてです。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

旅人の大先輩記事としては3人目かな?

世界一周の旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!

イブン・バットゥータ 解説

画像:イブン・バットゥータ

イブン・バットゥータ(Ibn Battuta)、本名はアブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・アッ=ラワーティー・アッ=タンジーさんです。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

名前なげェな

1304年、当時マリーン朝のモロッコ生まれの旅行家です。30年かけてイスラム世界からアフリカ、東ヨーロッパ、中東、南アジア、中央アジア、東南アジア、中国を旅しました。史上最も偉大な旅行家の一人と考えられています。1368年没、享年は64歳でした。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

14世紀前半に活躍した人なんだね。

神官さま
神官さま

14世紀というと、ヨーロッパではペストにルネサンス。日本では南北朝で国が割れていた時代だね。

ちなみに、マルコポーロは13世紀後半の人。生年はイブン・バトゥータよりちょうど50歳先輩でした。存命期間は被っているので、もしかしたらどこかで出会っていたかもしれませんね。

イブン・バットゥータの旅は、『三大陸周遊記』という書物に、旅行から帰ったイブン・バットゥータの口述を記録する形で残されています。

日本では『三大陸周遊記』という名前で知られていますが、アラビア語のタイトルをそのまま訳すと『都市の不思議と旅の驚異を見る者への贈り物』となるそうです。

イブン・バットゥータ 道のり

画像:イブン・バットゥータの航路2

イブン・バトゥータ イスラム諸国周遊編

イブン・バットゥータの出自やそのほかの記録は『三大陸周遊記』に出てくる自らの記録以外にほとんど情報はありません。それによれば彼は1304年マリーン朝の治世のモロッコ、タンジェのイスラム法学者の家に生まれたそうです。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

タンジェは、ジブラル海峡の付け根のところ。ヨーロッパとの交流も盛んなモロッコでも活気がある街だね。

太陽の精
太陽の精

イスラム法学者(ウラマー)の家ってことは、そこそこ良いとこのお坊ちゃんだったのかもね

1325年、イブン・バットゥータ21歳のときに彼はメッカへの巡礼(ハッジ)のために故郷を旅立ちます。これが旅の始まりでした。通常、モロッコからサウジアラビアのメッカまでは往復16ヶ月の道程であったそうです。しかし彼が再びモロッコの地を踏むのは実に24年後となるのでした。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

きっかけは宗教的なことだったんだね

なんとなく、旅の大先輩その①の三蔵法師さんにも似てますね。むしろ、そんな理由でもないと昔はなかなか諸国を放浪なんてこと出来なかったのかもしれませんね。

イブン・バトゥータの『三大陸周遊記』ですが、どうやら少し物語じみた記述も見られます。メッカの途中、エジプトのカイロにたどり着いた彼は、そこである預言者に出会います。そこで、いずれインドや中国に行くことを予言されたり、遠周りをしてメッカを目指すようにアドバイスされたりしています。

そして一年後の1326年、通常よりは時間がかかりましたが、彼は無事にメッカにたどり着きます。

太陽の精
太陽の精

でもここから23年間モロッコには帰らないんでしょ?

ここからはメッカを拠点に色々なキャラバンに随行して諸国を放浪する旅が始まります。彼はまずアラビア半島の周辺を探訪します。当時のペルシアにあたるイラン、アフリカの角と呼ばれる現在のソマリア周辺、そしてアナトリア半島(トルコ)。それらの旅を終える頃には1331年、彼は27歳になっていました。

画像:イブン・バットゥータの航路2

だるま©
だるま©

なんだか過去に取り上げた二人の旅人(三蔵法師とマルコポーロ)と比べて、旅の自由度がすごいわね。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

行きあたりばったりな感じが親近感わくね

イブン・バトゥータ インド滞在編

その後、アナトリア半島から国会を渡りクリミア半島へ、北路を通って中央アジアへと入ると、そのままインドへ向かいます。

インドのデリーにたどり着いたイブン・バトゥータは、当時デリーのあったイスラム国家のトゥグルク朝にてイスラム指導者として仕事をすることになります。

そしてそのまま6年間デリーで働きます。王様(スルタン)が逃してくれなかったそうです。

太陽の精
太陽の精

なんか、マルコポーロも似たような経験してたよね

AJ(nobu)
AJ(nobu)

高官として雇われて、気づいたら帰らしてもらえなくなる、って昔の旅人あるあるだな。

6年後の1337年(バトゥータ33歳)、元から使者がやってきたことで、その一行についていく任を与えられ、彼はデリーを脱出するチャンスを得ます。デリーを脱出したイブン・バトゥータと一行は南インドへ向かいますが、スマトラ王国に襲われて一行は壊滅、イブン・バトゥータは南インドの小国に滞在することになります。

しかしそれもつかの間、保護してくれた南インドの小国でも政変が起こります。インドを去るよりほかなくなったイブン・バットゥータは、中国への旅を続ける決意を固めます。そしてまずは、モルディブへの寄り道からはじめることにしたそうです。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

インドを去らざるおえなくなったから、中国への旅を決心し、まずはモルディブへの寄り道から始めることにしたのか。。。

なんか、この一文だけで、イブン・バトゥータがどんな男だったのかがわかるような気がしますね。

イブン・バトゥータ 中国そして帰国編

モルディブに9ヶ月滞在したイブン・バトゥータは、その後スリランカ、バングラデシュ、スマトラ島と海路で東へと向かいます。そして1345年モンゴル支配下の中国、福建省へとたどり着くのでした。

なまはげ
なまはげ

デリーを出てから7年も経ってるぞ。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

どこで、道草くってたんた、コイツ

そして、旅の果に彼は北京にいたり”万里の長城”をも目撃します。雄大な万里の長城を見みて彼はこう思いました「そうだ、モロッコ帰ろう」(脚色by AJ)

AJ(nobu)
AJ(nobu)

たいてい、日本までは来てくれないんだよね

太陽の精
太陽の精

でもたしかに、西から来て、万里の長城見たら、満足して帰りたくなる気持ちはわかるかも

そして、帰る決心をしてから約3年かけてイブン・バトゥータはモロッコへと帰ります。途中で、父の死を知り、母の死を知り、という悲劇じみたくだりがあったりしますが、さすがに24年も旅をしていればそういうこともあるでしょうに。帰る頃にはペストの流行も始まっていたようですね。

神官さま
神官さま

往路21年、復路3年と考えると、いかに気ままに旅をしてたことか

AJ(nobu)
AJ(nobu)

俺も、親不孝になる前には帰らないとな

男爵
男爵

巡礼に向かった学者の息子が24年も帰ってこなかったら、母ちゃん辛いよな〜

イブン・バトゥータ おまけの西アフリカ

帰国を果たしたイブン・バトゥータでしたが、数日の滞在の後に、今度はスペインへ旅立ちます。そしてスペインから帰国すると、次は西アフリカを周遊に向かいます。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

こりゃ、完全に旅ジャンキーですね

おわりに

AJ(nobu)
AJ(nobu)

14世紀の人物なのに、まさかのブラブラ系旅人でびっくりだったね

狛犬
狛犬

東アジアは海路がメインだったんだ

そんなイブン・バットゥータさんの冒険ですが、当時の人々にはにわかに信じられず、イスラームに反する記述もあったため、一時期は禁書と見なされる時期がありました。17世紀のオスマン帝国において、抄本の編纂が行われ、広く読まれるようになったということです。

また、現在の研究では、実際に記述にあるすべての場所に行ったとは考えられてはいないそうです。果たしてどこまでが本当で、どこからが脚色だったのか、すべてを知っているのは実際に旅をしたイブン・バトゥータだけなのかもしれませんね。

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