こんにちわ。現在モルドバ滞在中、AJ (nobu)です。
以前、ルーマニアの有名人という題材で記事を、書いたのですが⇩
そのときに紹介できなかった、もう一人を今回は、紹介しようと思います
それは、ディミトリエ・カンテミール、モルダヴィアの公主だった方ですね。
それでは、詳しく見ていきましょう!
ルーマニア旅行、モルドバ旅行を考えているあなた!この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
モルダヴィア公
彼は17c末から18cに活躍した人物で、公主として当時のモルダヴィア公国を治めていた人物です。モルダヴィアで生まれ育ちますが、学術・芸術に才能を発揮し、15歳から22年間を当時の都、イスタンブールにて過ごします。(16c〜18c、このあたりの土地はオスマン領)
しかし、それもただ過ごしていたわけではありません。その才能と教養により、当時のスルタンであったアフメト2世からかなり寵愛されていたということです。
その後、公主への就任にともなって、地元モルダヴィアに戻ります(37歳)が、その翌年、オスマン帝国に対してロシア帝国が宣戦布告します。
さて、アフメト2世に寵愛され、22年間をイスタンブールで過ごしたカンティールですが、なんと、即座にロシア帝国側につきます。しかし、戦いはオスマン側が勝利し、カンティールはロシへ亡命、亡命先でその生涯を終えることになります。
ディミトリエカンテールさんのここがすごい
さて、そんな公主としてはパッとしなかった感のある。
ディミトリエさんですが、学問の才能は本物であったようです。
ルーマニア語のほか、ラテン語、ギリシャ語、トルコ語、アラビア語、ペルシア語、ロシア語、スロヴェニア語、ハンガリー語、ドイツ語、フランス語、イタリア語を完全に習得しており、諸学問に通じ、故国モルダヴィア・ルーマニアに関する歴史書、地理誌、哲学書など多くの著作を残しました。
また、イスタンブールに長年住んでいたこともあり、東洋の歴史・文化にも造詣が深かったとされます。オスマン帝国に関する歴史を書物としてヨーロッパ世界に紹介したのもこの、カンティールさんが初めてだったのです。
さらには、音楽の才能まで持ち合わせており、トルコ音楽の画期的な新譜をスルタンに献上したことまであるそうな。
あと、名前がすごいかっこいいよね