こんにちわ。今日もどこかをフラフラと旅しております、AJ (nobu)です。さて、私、旅人AJが世界で出会った音楽をご紹介する旅人放送局のコーナーです!旅をしながら発見したローカルアーティストを日本に紹介するのが目的の記事です。
今回はクラシックの奏者なので、国と音楽のタグもつけておきました。
世界的に有名なチェリストさんなのですが、お恥ずかしくも、最近になってクラシックに詳しい友人に教えてもらうまで、僕は全く知りませんでした。
時代と共産主義に抗いながら活動した音楽家です。
実は本名はムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチという、とてつもなく長くて、かっこいい人です。
要チェックですよ!!
ロストロポーヴィチ 歌手 実力
さて、取り上げるのはロストロポーヴィチさんです。
世界的に有名なチェリストさんなのですが、お恥ずかしくも、最近になってクラシックに詳しい有事に教えてもらうまで、僕は全く知りませんでした。
奏者による音の違いなんて、ろくにわからない旅人ですが、とっても心地よい音色ですね。
ということで、今回はこちらのロストロポーヴィチさんの記事になります。
ロストロポーヴィチ 解説 経歴
ロストロポーヴィチは、1927年にアゼルバイジャンのバクーに生まれました。
おぉ、バクー!
音楽家の家庭に生まれ、父はチェリスト、母はピアニストでした。
ロストロポーヴィチ自身も4歳でピアノ、7歳でチェロを始めます。10歳のときにはチェロで一曲きちんと弾きこなしていたそうです。
1943年、16歳のときにモスクワ音楽院に入学しました。そこでショスタコーヴィチに支持します。
ショスタコーヴィチはロシアの国と音楽で調べたね。
18歳の時には全ソヴィエトの音楽コンクールで優勝、その後も東側各国のコンサートで優勝を積み重ねます。あれよあれよと20世紀最高のチェリストとして地位を確立しました。
多くの作曲家が競ってロストロポーヴィチのために作曲をして、ロストロポーヴィチに捧げられた現代作品は170を超すといわれています。
そのすべてを、弾きこなしたんだから、すごいよね
彼の栄光の人生に転機が訪れたのが1970年、43歳のときでした 。社会主義を批判した作家ソルジェニーツィンを擁護したことで、ソビエト当局から「反体制」とみなされてしまいます。政府に追われたソルジェニーツィンを4年に渡って自宅に匿ったりしたんだそうです。他にも、芸術や学術の自由を擁護する立場から、物理学者アンドレイ・サハロフを擁護した話も有名だそうです。
反体制派を助けてしまったロストロポーヴィチは、それ以降、演奏活動の機会を次々に奪われていきました。
そして、その4年後。ロストロポーヴィチは祖国を捨て亡命する道を選びます。
冷戦が終わり、ロストロポーヴィチが再び祖国に戻ることが出来たのは16年もあとのことでした。
なるほど、苦労人なんだねぇ
ちなみに親日家であり、何度も来日し、日本でコンサートも行っていたそうです。皇后陛下の古希のお祝いに、両陛下ご臨席のコンサートを開くなどということもあったそうな。
ロストロポーヴィチ 曲 おすすめ
AJ的なおすすめ曲をいくつかご紹介します。
クラシックなので尺の長い動画ですが、お勉強のお供にどうぞ。
こちらはドヴォルザークを演奏している映像です。ロストロポーヴィチっとドヴォルザークは縁深く、ベルリンの壁が崩壊した際に、ロストロポーヴィチはドヴォルザークを演奏したんだそうです。
おわりに
今回はアゼルバイジャン出身のチェロ奏者をご紹介でした。
アゼルバイジャンというよりソ連出身って感じみたいですけどね。
アゼルバイジャンといえば、以前にサターさんというアゼルバイジャンを代表する画家の記事を書きましたね。
クラシックの知識なんてなかったので、アゼルバイジャンにいた時は完全スルーでしたけど、探せば記念碑ぐらいはあったのかなぁ。。。
いつかもう一度、アゼルバイジャンへ旅行するときには探して見たいと思います。
それでは、また次回!
海外のアーティスト情報は⇨コチラから
アゼルバイジャンの情報は⇨コチラから