こんにちわ。只今、ウクライナはキエフを旅しております、AJ (nobu)です。今回はそんなウクライナが誇る偉人、ウラジミール大公を調べてみました。
ウクライナの偉人と言っても、日本人にはあまり馴染みがないかもしれません。ウラジミール大公は、現在のウクライナの基礎を築いたと言っても良い人物です。
ウクライナ、ロシアへの旅行を考えているあなた、この記事をよめば、あなたの旅も深まること間違いなし!
ウラジミール大公 人生 功績
あらためまして、旅人です。
今回の人物ですが、正直、ウクライナに来て調べるまでは、ほとんど記憶になかった方ですね。
遠い昔に世界史の授業で覚えた記憶がなくはない。
今回取り上げるのは、ウラジミール大公、又は、ウラジミール1世として知られる人物です。。それでは、そんなウラジミールさんの一生を順番に見ていきましょう!
王の息子ではあったが・・・
ウラジーミルは、955年頃にキエフ大公の息子として生まれました。しかしながら、その母親は、王様のの母に仕えていた鍵番の女でした。また、キエフ大公には、ウラジミールの他に、正嫡子としてすでに二人の息子がいました。
不倫相手の息子だったんだね。
どうやって、正嫡子の兄弟を倒して、大公になっていったのだろう。
さぞかし悲惨な幼少期と思いきや、ウラジーミルは父親である王からノヴゴロド公に任じられていました。(ノブゴロド地方を与えられていた)これは、すでに後継者として目されていたためという説があります。
冷遇されてからの、成り上がりストーリーかと思ったら、パパ王から愛されまくっとる
珍しいパターンだね。でも、必ず他の兄弟からいじめられそう
時は流れその父がなくなります。975年(ウラジミール20歳)
すると、すぐに正嫡子である兄達が争いをはじめます。騒乱の中、ウラジーミルはスカンディナビアへと逃亡することとなります。ウラジミールはその後15年の間、祖国に戻ることなく過ごすこととなります。
やはり荒れたか。
スカンジナビアは、今のノルウェーとかフィンランドのあたり。ずいぶん北まで逃げたねぇ
そしてキエフへ帰還する
そして時は流れ、ウラジミールは37歳の時にノルマン人を率いて帰還します。
さらにはスカンジナビアからキエフへの進撃の途上では、別のノルマン人国家であったあるポロツク公国(今のベラルーシ)を滅ぼす暴れっぷりです。ポロツク公国の王と息子たちを殺害した上、かつて自身を「奴隷の子」と呼んで侮辱した公女のログネダを略奪して妻としたいいます。
なんか、良い子ちゃんかとおもったら、かなりキレたやつやん
覇者として多くの偉業をなしたけれど、その原動力は復讐心だったのかもしれないね
そしてついに兄を破り、ウラジミールはキエフ大公に即位します。即位後は、南方や北東地域にも進出してキエフ大公国の領土を父の代から倍増させます。現在のロシア方面にもかなり進出しており、現在モスクワの東に位置するウラジーミルの町は彼が建設したとされ、その名を街名として受け継いでいます。
領土2倍はすごいね!
さすが大公と呼ばれるだけあるね
また内政においては、キリスト教をキエフ・ルーシに導入したことが有名です。10人の家来たちに各宗教を調査させた報告を聞き、988年に自身も洗礼を受けてキリスト教徒となります。そして異教の偶像を破壊するよう命じました。
最後の一文だけ荒っぽいな
スマートなのか、オラオラなのか。掴みどころが難しい人物だな
キリスト教を国教として導入したことに加えて、東ローマ皇帝の妹と結婚し、キエフ大公国の権威をさらに上昇させると共に、当時最先端であったビザンツ文化を取り入れるなど、優れた手腕を見せました。ウラジーミルは12人の息子をキエフ大公国の各地に封じて土着の勢力を抑え、近隣との関係もおおむね平穏であったとされます。
晩年には、ノヴゴロド公に任じていた息子がキエフへの税の支払いを拒否したため対立し、これを討つための準備中にキエフ近郊で死去したとされています。(1015年)
それでも聖人 ウラジミール
晩年にはウラジミールの権力は大変大きなものになっており、ウラジーミルへの崇敬はルーシの伝統となっていきます。
ウラジーミルの遺体は、分割され、彼が建てたさまざまな教会に送られて不朽体(聖遺物)として崇敬を受ける事になります。さらに、ウラジーミルは正教会から13世紀に列聖され、カトリック教会でも聖人として崇敬されていくことになります。
やはり東欧コサック世界にキリスト教を土着させた功績は、キリスト教から見れば大功績なんだろうね
それらの伝統は今でも受け継がれていて、19世紀にはウクライナにおけるキエフ大学の正式名称はウラジミールの名を関していました。その理由hあキエフ・ルーシに文明とキリスト教をもたらした人物として尊敬されているからでした。
また、ロシア帝国では聖ウラジーミル勲章が設けられました。
政治・軍事ともに大きな成果を収めたウラジーミル1世の功績はおおきく、彼と共に、東スラブにおける遊牧民達の時代は終わり、キリスト教時代が始まったというわけでした。
まとめ
今回は、ウクライナの偉人、ウラジミール大公をチェックしました。破天荒と見せかけて、政略にも長けているところは、なんだか日本の信長を彷彿とさせますね。
それでは、また次回。
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