モルドバ旅行、その前に!!知って深まるモルドバの旅!

路地裏に映る人影 旅のおぼえがき

どうも、そろそろルーマニアをあとにしようかというAJ(nobu)です。

モルドバという国について、皆さん何か知っていますか。

いや、まずどこだよ。っていう声が聞こえてきますね。何を隠そう、私も極東ヨーロッパに来るまでは、位置すら知らなかった人間の一人です。今日はそんな、モルドバについて、旅する前にニッチな知識をつけておきたいと思います!!

これからモルドバへ行こうという方々、この記事を読んでおいて、より深いモルドバ旅を楽しみましょう!!

モルドバ どんな国?

あらためまして、旅人です。

さて、今回はモルドバという国の基本的な知識をご一緒に身に着けていきたいと思います。

行く予定がない人にとっては「そもそもどこだよ!」って話ですよね。対象のものが具体的にイメージできていないと、お勉強は始まりません。

まずは、こちらを。

以前に極東ヨーロッパの地理をまとめましたので、そちらの記事もご覧くさい。

地図の右側、ルーマニアとウクライナに挟まれた内陸国がモルドバになります。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

いろいろ書き込んであるせいで、国境線が見づらくなっていて申し訳ない。

やっと場所のイメージがつかめましたね。位置がわかると、歴史的な意味合いも見えてきます。

ヨーロッパとアジアのあいだに位置するこの地域。中世にはモルダヴィア公国という国だったのですが、このあたりの支配権を巡っては、古くはトルコとロシア。近世ではルーマニアとウクライナが代々火花をちらしてきたらしいです。

なるほど、地図を見るとそのあたりの歴史も、なんとなく理解しやすいですね。

現在では、言語的・文化的な観点ではルーマニアとほぼ同一の方々が暮らしています。

モルドバ 歴史 ざっくりと

古代、このあたりにはダキア人という民族が住んでいたとされます。

その後は、例によってローマ人が南より植民。

植民してきたローマ人の撤退後は、モンゴル系のタタール人が住んでいたとかいないとか。

このあたりの歴史は、ブルガリ・ルーマニアとほぼ共通ですね。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

日本人からすると不思議な感覚だけれど、陸つなぎの国は古い歴史ほど共有していることが多いですよね。当然だけど。

太陽の精
太陽の精

むしろ日本みたいに、独自に長い歴史があるなんて、ごく少数だよ。島国あるあるかもね。

時代は、移り中世へ。この時代になると、このあたりにはモルダヴィア公国が誕生します。

モルダヴィア公国はルーマニア人による国家で、今の地図に載せると西側は現ルーマニアで、東側は現モルドバと真っ二つに別れます。1350年台に成立したとされますが、16世紀初頭にはオスマントルコを宗主国として認め、その従属国となり独立性は失われます。

更に時代はながれ、イケイケだったオスマン帝国の覇権にも陰りが見え、入れ替わるように北から帝政ロシアがやってきます。そうしてトルコとロシアでドンパチやったのが、いわいる露土戦争というやるです。

AJ(nobu)
AJ(nobu)

いろいろな場所で争った両国。その一つがステージがモルダヴィア公国だったんだね。

どっちがモルダヴィア公国の親分なのか、っていうのを争っていたみたい。

太陽の精
太陽の精

ロシア帝国としては「このへん住んでるのキリスト教やん」って大義名分だったらしいよ

露土戦争というのは、なんども争われ、なんども講和されている、、長い戦いです。その中の講和の一つに”ロシアが占領しているモルダヴィア公国はオスマン・トルコに返す。代わりに、モルダヴィア公国の東半分である、ベッサラビア地方(今のモルドバ)をロシアに割譲する”という講和がありました。

これこそが歴史の分かれ目、今日のモルドバとしての第一歩になります。

その後、第一次大戦中の混乱期に、モルダヴィア公国と同じ規模の領土で”モルダヴィア共和国”として独立しますが、すぐにルーマニア王国によって吸収されてしまいます。

と、思ったのもつかの間、時代は第二次世界大戦に突入。独ソの密約により、ベッサラビア地方(今のモルドバ)はソ連の一部として吸収されてしまいます。

ソ連時代は、冷遇されることも多く(モルドバ内に反ソビエト勢力が多かった為)、文化財の破壊なども行われたようです。それでも時代は流れて、ソ連は崩壊。ようやくモルドバは独立することができるようになります。

独立時にはルーマニアへの再統合の国内意見も多かったようです。1994年には再統合に関する国民投票も行われたそうですが、こちらは圧倒的な差で独立の意見が勝利し、現在に至ります。

モルドバ 政治 ナウ

独立後は、脱ロシア色の強い政策が多い様子です。(脱ロシアグループGUAMのM)

しかし、国内にはロシア語話者もいて、政治はなかなか一枚岩ではないようです。また、ロシア語話者の多い西部いったいは、沿ドニエストル共和国としての独立を主張しており、まだまだ国内に問題が多いようです。

経済的には、ワイン製造が主な産業のようですが、一人あたりGDPは約2200ドルで、ヨーロッパの最貧国とも呼ばれています。(参考:フィリピンのGDPが約2800ドルです)

まとめ

いかがだったでしょうか、モルドバのことが少しは分かっていただけたんじゃないでしょうか。

歴史を見ると、いろいろやられたい放題感があるモルドバです。けれども、独立を選んで、一歩ずつ歩む姿勢は、なんともかっこいいじゃないですか!

僕自身も、行くのがすごく楽しもになってきました。

このページでモルドバへ旅行する人が少しでも増えればいいなと思います。

 

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